イルーナ

もののけ姫のイルーナのレビュー・感想・評価

もののけ姫(1997年製作の映画)
5.0
日本アニメ史に残るエポックメイキングな一作。
その後作られた作品はこの作品に大きな影響を受けているものが多く、その影響力がうかがえます。
(ポケモン映画や『アバター』、『ウルフウォーカー』あたりが一番わかりやすいか)
リアタイ当時は小学生で、その時の印象は「よくわからないけど、とにかく凄い」でした。
美しくも残酷、神秘的で荒々しい世界を大スクリーンから全力で叩きこまれた感じで。
冒頭からいきなりタタリ神襲撃で始まり、最初からクライマックス感がすごい。そこから上映時間133分をあっという間に駆け抜ける。
さらに情報量の圧倒的な多さ。後に日本史を学んで分かったことですが、登場人物全員、歴史のメインストリームから外れた存在。そこにスポットライトを当てて周知した意義は大変大きい。

それまで見てきたキャラクターと言ったら、基本的に善悪の役目がはっきりしたものばかりでした。
そのため観る前は、ちょうど環境破壊問題が本格的に取り沙汰され始めた時期だったため、人間を悪と断じるものだと思っていました。
ところが本作のキャラクター造形は、エボシやジコ坊を始めとにかく一筋縄でいかないキャラクターが多い。
彼女は自分たちの利益のために自然を破壊しているため、役目を考えたら間違いなく「悪」ですが、当時立場の弱かった女性、さらに人間扱いされてなかった業病(ハンセン病)患者も平等に扱っており、人間的な面で見れば「善人」。
(裏設定によると、その昔倭寇に買われて頭目の妻となり頭角を現したが、やがて頭目を殺し、その金品を持って自分の故郷に戻ってきたという波乱万丈すぎる設定)
ジコ坊もシシ神の首が目当てだから立場上は「悪」ですが、アシタカの旅の手助けをしていることを考えると、やはり善人寄り。
さらにタタラ場を中心に天朝(天皇)、謎の組織・師匠連、地侍など、とにかく大量の勢力が絡みまくる。
そこには単純な協力関係はなく、いつ襲ってくるか、裏切ってくるかわからない緊張した関係。そりゃ難解だ。

本作のテーマは直球ど真ん中で「生きろ。」
しかし本作では、生きることの不条理をこれでもかと突きつける。
前述の複雑怪奇な勢力図はもちろん、「神殺し」のタブーを犯したとはいえ、村を守った結果、呪いをかけられるアシタカ。
気高くも、人間にも山犬にもなれないサン。アシタカから「生きろ。そなたは美しい」と言われたことがきっかけで心境に変化が現れるのですが、今までずっと、人間である自分のことを醜い存在だと思っていたからなんですよね……
中でも石火矢作りの集団の長の言葉が忘れられないです。
「生きることはまことに苦しく辛い。世を呪い人を呪い、それでも生きたい。どうか愚かなわしに免じて……」
一生懸命生きれば生きるほど、誰かの敵になる。何てつらい定めだろう。
その最中でも、アシタカのヒーロー性はずば抜けている。宮崎監督に「オレはいま一世一代の美形を描いてるんだ!」と言わしめただけある。
人間側にも神々側にもつかない中立。一歩間違うと優柔不断かコウモリになってしまうのですが、その共存を願う真摯な姿勢が胸を打つ。
呪いが強大な力を与えるという設定も、中二病にとっては受ける要素。
例の小刀の件も、故郷への未練を断ち切ったと見たから自然に受け入れられた。
ちなみにリアタイ当時母はアシタカにメロメロになってました……

本作最大のキーパーソンのシシ神について。
人間たちからは不老不死をもたらすとされ、森の神々からは救世主のような見方をされていた。
しかしその本質は「森が生まれた時の記憶と おさな子の心を持つ」とされる純粋なる自然そのもの。まさに善悪を超越した存在だった。
森の神々ですら見解が一致してなかったのがその超常性を象徴している。
そのため、一見きまぐれで行動しているように見えるのですが、パンフでの宮崎監督のインタビューにある通り、少なくとも恵みをもたらす優しい存在ではない。
アシタカが深手を負ったときに傷は治しても呪いは解かなかったのは、彼なりに認める一方、呪いで苦しみながら死ぬ運命を守らせるために生かしたのかもしれない。
逆に乙事主の命を奪ったのは、これ以上生かしてもタタリ神として不幸をまき散らすだけだから、安らかなる死を与えたのかもしれない。
なお、設定によるとこれでも神としては下級らしい。と言うことは、モロや乙事主などの神々は長い年月を生きてきただけなのか。確かに超常的な能力は持っていなかったもんな……

一見きれいに終わったように見えるラスト。
森は再生を始めているし、生き残った人々は再起をかけて立ち上がる。アシタカの呪いも命をかけて尽くした礼儀のためか寛解した。
しかしよく見ると、自然はシシ神が一度倒されたことで大幅に弱体化し、かつての威厳や神秘性を失っている。
タタラ場側も多くの犠牲を出したし、敵もゴロゴロいる。
結局両者痛み分けの結果で、お互いこれから茨の道を歩むことになる。
まさに神話の時代の終焉を告げる結末。
ですが、パンフにもあるように、「憎悪や殺戮の最中にあっても、生きるに値することはある。素晴らしい出会いや美しいものは存在し得る」。

「アシタカは好きだ。でも人間を許すことはできない」
「それでもいい。サンは森で私はタタラ場で暮らそう。共に生きよう」
様々な葛藤を背負いながら、それでも生きなければならない。21世紀に向けたこのメッセージは今、さらに切実さを増しているように思われます。
イルーナ

イルーナ