ビックリした
何回か見てるはずやのに随所で涙しちゃうくらい感動した
昔見た時は「人間うざい。森守れよ。何してんねん」って感じの感想だったけど
今見るとエボシという人物がめちゃくちゃ魅力的に見える。それ以外にも新たな気づきがいっぱいあって、驚きの連続。
アシタカがタタリ神と出くわすところから始まる
このタタリ神はナゴの守といってもとは山の主だった猪がエボシ達に石火矢でやられたことでタタリ神になってしまったらしい
→後で乙事主が「わしらの一族からタタリ神が出てしまった、」みたいなこと言ってたからタタリ神になってしまうことはマイナス的な意味があるのかな?
これは勝手な妄想だけど、死を受け入れられず何かを憎み、呪い出した者がタタリ神になるのかな?
アシタカはタタリ神に手を出してはいけないと分かっていながら、村の娘の1人が仲間を助けようとタタリ神に対峙したのを見て、娘の方に向かわせてはいけないと覚悟を決めて矢を射る
→後でアシタカはちゃんと覚悟を決めて矢を放ったって言ってるけど、あの一瞬で覚悟を決めて矢を放っている事からアシタカがどれほどの勇気を兼ね備えた人物なのかがわかる。めちゃくちゃ挑戦的な描き方(見ている人に伝わりにくいから)
→しかし、アシタカは勇猛果敢の少年ってわけでもない。アシタカは覚悟を決めたと言いながら、ひい様にそのアザをお前を殺すって言われた時、ほんの少し顔をしかめる。それに、後のシーンでシシ神に撃たれた傷を治してもらった時、アザが消えてないのを見て、アシタカはため息をついて天を仰ぐ。アシタカも少しは怖かったし、死ぬのは嫌だったんだろうなってことが見て取れる。このリアルな人間味が少し組み込まれていることで、アシタカという人物の魅力がグッと上がる。
アシタカはジコ坊に出会う。
意外とジコ坊も好き。
ジコ坊も実は賢く強く生きている。
「この世はタタリそのもの」
「肝心なのは死に食われぬこと」
アシタカの会話シーンでのジコ坊のセリフはどれも核心をついた面白い内容。
この世はタタリそのもの
って言うセリフなんかめちゃくちゃ好き
アシタカは山の主をタタリ神にしてしまった何かを憎んでいるけど、それはエボシで、エボシはタタラ場のみんながご飯も食べれて安心して暮らせる場所にしようとして、そのために鉄を作らぬばならず、森を切るしかない。
森、生物がタタリ神になってしまったことをついつい憂いて悲観的に見てしまうけど、社会の人間達の多くは飢えたり、争ったり、自然災害で亡くなっていってる。こいつらもタタリそのものでこれはいいの?ってことまで考えさせられる。
アシタカは森を通ってタタラ場に行く。
道中、コダマが案内してくれる
コダマ(森)に敵味方もないのかな?
ここでタタラ場、エボシ登場。
めちゃくちゃ面白いところ。
タタラ場では女性は男性と同等かそれ以上の社会的地位で働き、生活している。
差別の対象になるような病人も、仕事をして安心して生活できている。
皆、飢えず幸せそうに暮らしている。
→めちゃくちゃ近代的な社会だなと思った。
エボシはアシタカの「曇りなき眼」と言っときに笑い、時折冷徹な様子を見せ、頭の良さ、生きる上での力に長けている様子が度々見てとれる。エボシは壮絶な人生を送ってきたのだろうと思わざるをえない。
このことから、エボシは社会に絶望して、新たな理想社会を作ろうとしているのだと思う。
女の地位を高くし、病人への差別もなくし、飢えず皆が幸せに暮らせる社会を作ろうとしている。しかも、このエボシの思想がめちゃくちゃ近代化思想に似通っている。なんなら、現代社会のような社会をタタラ場で作ろうとしている。(価値観も新しく作っており、女性の地位向上や民達は帝のことも知らない)
でも、この新しい社会を作り、維持するためには国力を上げなければならない。
だから鉄を作り、それを売ることで収入を得て、皆に飯を食わし、さらにその鉄で武器を作りタタラ場を守る(森のシシ達や侍などから)軍事力を手に入れようとした。
でも、新たな社会(会社って考えたらわかりやすい)を作るには金がいる。それをジコ坊らの師匠連とかに借りていたのだろう。シシ神を殺すことと引き換えに。
めちゃくちゃ政治的。
でも、考えてみればエボシが1番可哀想な立場にあると言ってもいい。
人間社会と森の板挟みにあっているような状況。
アシタカはタタラ場でサンを救う。
「生きろ。そなたは美しい」
この言葉。自分が死んでいいと思っていたサンは「生きろ」と言われる。多分初めてだったんじゃないかな。また、モロや山犬家族以外で初めて美しい(存在の肯定)と言われたのだろう。これほど嬉しい言葉はない。
これの逆もある。
シシ神がアシタカの傷を治した時、アシタカのアザは治さなかった。
→アシタカの死ぬ運命は変わらないということ。
アシタカは絶望し、体の疲弊もあってか物を食べる気力さえない。「食べない」と言うことは一種の「生きることの諦め」
これに対し、サンは無理やりにでもアシタカに食べさせる。これは言葉ではないけど、
「生きろ」という意味を持った行い。
アシタカはこれで涙する。
アシタカとサンは互いに互いの存在を認め合っているんだな
美しいなぁ
猪達がシシ神を守るため、人間を殺そうとし、シシ神の森へ来る。
猪達vs人間(タタラ場と師匠連とか)
ここで師匠連達がとんでもない作戦思いついて、猪達をタタラ場の男達もろとも爆弾で爆発させる
アシタカが駆けつける。
ここで山犬をアシタカ、タタラ場の連中で助ける
このシーンはさりげない、ほんの少ししかないシーンだけどめちゃくちゃ美しい
感動する
この解決策がみだせない世界、物語で少しだけ希望が見える瞬間
本当に美しい
シシ神の存在
昔見た時はシシ神はすごい神様でいい奴なんだくらいの印象だったんだけど、よく見ると
生と死(再生と破壊)を司る神
東洋哲学の天地を象徴したような存在
首を取った後、この生と死のバランスが崩れて、破壊のみの化身になってしまう
描写もむごい。
津波のように周りを襲って触れる者全ての命を奪う
アシタカとサンが首を返したことでシシ神は戻り、森が再び息を吹き返す
これは 元 に戻ったわけではなくて、
破壊された森からまた新たな緑が生い茂っている
つまり、破壊と再生
これも美しいね
ジコ坊の言う通り、首を返さなくても日に当たって破壊だけのシシ神は消えたかもしれない
けど、それだと破壊のまま終わって再生が行われなかったと思う
今のこの現代社会にはシシ達はいるのかな