喜連川風連

もののけ姫の喜連川風連のレビュー・感想・評価

もののけ姫(1997年製作の映画)
4.6
少しずつ、宮崎アニメを書いてます。

「生きるということは同時に何かを殺すこと。」人間は殺しすぎているのか?それとも自身の欲求や経済発展のために、まだまだ自然を殺さなければならないのか?

もののけ姫は「神殺し」の話である。

あらゆる規範(神)が崩壊した失われた20年。そこで神殺しを描く宮崎駿の慧眼。

現代を生きる日本列島人にとって、神も祈りももはや存在しなくなっている。

信じる物語がない不安。
そうした社会不安は、自己啓発本の氾濫やオウム真理教、アイドル文化の勃興とも結びついている。

自分を超える大きなものがあると信じると安心して人生を生きられる。公園で絶えず母親が子どもを見守ってくれているような安心感。

あらゆる人間と神と自然の業が、ぶつかり合い、最後まで確たる答えが出なかった。

たたら場は、ハンセン病患者、聾者、非人、牛飼いといった被差別民のアジール(避難所)として存在している。
しかし、それは神のアジールであるシシ神の森を犠牲にして成り立っている。

その利権を神に祈るはずの僧侶(ジコボウ)たちがつけ狙っている。
ジコボウ「天地の間の全てのものを欲するが人間の業だ、タタリといったらこの世はタタリそのもの。」

この世はジコボウのような人間だらけで妙に共感してしまう。

宮崎氏はインタビューでこう語る。

「田園風景が美しいというのは人間の傲慢であって、基本的に他の植物が生えるチャンスを奪っているわけですから、不毛の地という印象が強いです。自然界から見た生産量からいうと、畑になっている土地よりも、荒れ野の方が生産量が高いんですよ。」

里山を見ると自然を感じる人が多いが、あれも人間が自然を傷つけてできたものである。

こうした人類の極楽浄土を建設しようとしているエボシ御前は、元倭寇(海賊)の棟梁の元妻で、夫を殺し、山陰地方にたたら場を建設したらしい。

サンはその時の娘という説もある。

互いに正義と理念があり、ぶつかる。
原発誘致の是非をめぐってぶつかった村を見ているようだし、人間の業がこれでもかと詰め込まれている。

そんな混沌とした社会をどう生きるか、
アシタカくんはそのうちのひとつを示してくれているようでならない。

そして、今現在、恐らく最後の作品になるであろう宮崎駿氏の最新作のタイトルは「君たちはどう生きるか」である。
宮崎アニメが絶えず問うてきた、どう生きるか。見るたびに考えさせられる。

コロナでGDPは落ちた。消費者物価指数も落ち込んでいるらしい。
だが餓死者は出たのだろうか?コロナ前から自殺者はいる。果たしてこのまま大衆消費社会を進めていくことが、人類にとって幸せなのだろうか?
喜連川風連

喜連川風連