ろ

セブンス・コンチネントのろのレビュー・感想・評価

セブンス・コンチネント(1989年製作の映画)
4.7

「”こうと決めたら最後までやり抜け”、お父さんの教えです。僕たちも、決めました」


今朝の食事は、とても豪華でした。
いつものコーンフレークは姿を見せず、焼き立てのパンに、お肉やフルーツのオードブル。
両親はシャンパンを飲んでいました。


世界のどこかでは今も、この瞬間にも、事件や事故が絶えず起きているだろう。
けれど私たちはいつも通り、当たり前に、目覚まし時計を止め、コーヒーメーカーのスイッチを入れ、食卓につく。
目の前でペチャンコにつぶれた車が吊し上げられても、横たわった死体が雨風にさらされても、私たちはただ音楽を聴き続ける。
この違和感は、拭っても拭いきれない。
そう、まるで”洗車”のように逃げ場がない、閉塞的で不安な気持ちになるんだ。

私が普段何気なくおもっていること・不快感・やるせなさ、この映画に詰まっていました。


すきなのはね、スーパーの場面。
袋づめされたお菓子、冷凍食品、量り売りの肉。コンベアーを流れてレジにゆく。そして店員がレジ打ちをする。もちろん機械的にね。
モノはただの数字と文字の羅列になり、金額がはじき出される。
この流れは映画だけじゃないよ、日常生活のこと。
だけどやっぱり違和感があるの。
モノ・キカイ・カネ、この中に”人間らしさ”はあるの?ってね。


コンピュータもクローゼットも、もうめちゃめちゃに壊しちゃう。
服をザザッと引き裂いて、ガラスが粉々に飛び散る。

そこでハッとしました。
というか、それまでの共感から我に返った。


やっぱり、”生きること”と向き合わなきゃだめだ、ってね。

本音を言わない(言えない)人々、BGMがうるさいだけの食卓。そりゃあ虚しく哀しくなるよ。あきらめちゃうよ。
でもね、”死ぬ”ことで はたして(この生活から)解放されるのだろうか。

急に現実を突き付けられた気がした。
自分がまだこの世界に未練がある、ということを実感してしまって、ちょっと悔しい。


「愛をこめて」と書くまでの、そのわずかな間。
そこに、私は一縷の光を見出してしまったのです。









( ..)φ 監督のことば

彼らは生きていない。
道具を使い、行為を繰り返す。
人は行為に縛られる。人生とは行為の総和だ。そして何も残らない。

破壊に没頭している。これを解放のための行為とも呼べるだろう。
だがあの行為は彼らにとっては解放ではない。
彼らは破壊することによって、自らの全人格を構築する。






鑑賞後すぐに浮かんだのは、陽水さんの「傘がない」。
何度聴いても鳥肌が立ちます。








※コメント欄 自主閉鎖中m(__)m