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ステップフォード・ワイフのhorahukiのレビュー・感想・評価

ステップフォード・ワイフ(1975年製作の映画)
3.6
『ローズマリーの赤ちゃん』で有名なアイラレヴィンの原作を基にしたサスペンスホラー。

郊外の街ステップフォードでは、女性たちはみな夫に文句も言わずに熱心に家事をこなし、外で時間を過ごすことなど一切しない。男性たちは男性クラブの会合で毎晩何やら極秘な会議を開いている。頑なに「良い妻」であり続けようとする女性たちを変えようと主人公ジョアンナは同じく最近ステップフォードに越してきたボビーと協力して声掛けを始めるが…。

60年~70年代のウーマンリブを背景に男女平等を否定しようとする前時代的で利己的な男性たちの愚かさをぶっ飛んだ発想で批判しまくった面白い作品でした。

ジョーダンピール監督が本作からの影響を公言している通り、発想が間違いなく『ゲット・アウト』に受け継がれているし、アイラレヴィンの原作にはなかった映画独自の視覚的なクライマックスは『アス』との類似点を感じさせますね。

NYからステップフォードに引っ越すプロローグ。家の中や車の中では鬱屈とした態度のジョアンナが、良い被写体を見つけた時に見せる表情の輝き。ある意味では女性の社会進出の足掛かり的な属性を備えた被写体を不要だと語る夫の言葉が本作の趣旨をわかりやすく提示する丁寧な導入。

鏡による表情の強調とか仕切られた空間からののぞき見的視点、出発前も到着後も変わらないジョアンナの表情に少しずつ近づくカメラ。目撃するアレから始まる性差を印象付ける夫婦の会話。

男女間には決して埋まらない溝は必ずあるわけで、それを如何に受け止め譲歩するかというのは避けようがない夫婦間の問題だし良くある光景ではあるのだけど、それぞれのカテゴリーに分かれて集団化することで、 利己的で汚い欲望によって心の中に芽生えた異性への小さな不満は集団内の巨大で類似な共通認識なり主張なりに飲み込まれ同質化し正当性を帯びてしまう…てのが怖い。

本質的には違うものだしそのことにある程度は自覚があるはずなんだけど、同化してしまう方が圧倒的に楽なわけで、異常を正常に転化させてしまう集団化の怖さを強烈に感じました。

原作ではかなりの過激派だったジョアンナとボビーだけど、映画版では少し大人しめで応援したくなるような程良い塩梅になってるのはナイスな改変だと思うし、原作で印象的だったオ◯ニーは物語的な変化と男性側の女性に向けられる価値観を象徴するものとしてキモさ抜群な面白いシーンだったけど、映画ではよりソフトになっていて迷いを滲ませているのが良かったです。

そして何よりクライマックスで対面するアレの、欲望を体現した気持ち悪さは映画的な見せ場としてめちゃインパクトあったし、スーパーでの数珠つなぎな挨拶リレーの異様さは嫌悪感を覚えるレベル。そんな感じで、映像で見るからこその良さを感じる面白い映画化作品でした。
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