「おとし穴」は、安倍公房の原作・脚本の1960年のTVドラマ「煉獄」を、1962年に映画化したもの。予告編は、本編に含まれていないシーンもあるので貴重だが、田中邦衛が演ずる殺し屋Xの本編未収録の殺人シーンや最終盤のカットまで含まれているので、映画鑑賞の後に見たい。
当時の炭鉱労働者の厳しい生活と、1953-1960年にかけて発生した三井三池争議において会社側の工作により三池炭鉱労働組合が分裂、新労働組合(第二組合)が結成され、新旧の組合の対立による暴行が頻発する中で、暴力団員の介入により1960年に労組員が刺殺された事件をもとにしている。
荻昌弘は、映画のポイントとして、「それまで1つにたかまっていた力が、何かをきっかけにして2つに分裂する。すると、分裂したその2つの力は、単に拡散するだけではなく、必ず相対立して斗い出し共食いをはじめる。 即ち、必ずもとの力の消去を助長させるほうへ、動きだす。この、2つを分裂へ誘う何かの力とは一体何なのであろう。そして、この共食いの結果には何が生まれ、誰の利益が最後には笑うのであろう―安部は、ここから、これを考えつめることから、このドラマを発想させたにちがいなかったということなのである。」と解説している。
TVドラマ「煉獄」では、殺し屋Xが全てが終わった時点で書き取るメモの内容を明らかにしているので、彼の意図が映画よりは明瞭になっている。Xが、会社に雇われた殺し屋なのか、資本主義の労働者に対する姿勢なのか、どちらにしても、安倍公房の社会派としての思いが現われていると言える。しかし、前掲の荻の解説するポイントの視点に立てば、ひとつの「力(政治・思想団体など)」が二つに分裂した時には、相対立して共食いをはじめ、「もとの力」の消去の助長させるほうに動き、最後に笑うのは、「もとの力」とは「対極の力」ということになる。
映画のタイトルは「煉獄」から「菓子と子供」へ変更され、最終的には「おとし穴」となった。本作に登場する子供の解釈は難しいが、映画では、子どもは事件のすべてを目撃していながら、無力であり、言葉を発しない。社会の大きな流れに翻弄される一般市民の象徴であろうか。