ニューランド

たそがれの恋/グレイト・フラマリオンのニューランドのレビュー・感想・評価

3.1
☑️『グレイト·フラマリオン』および『静かについてこい』▶️▶️
これだけ揃うと、以前観た感触·評価は的確だったか、少し再見して確かめたい気持ちも出てくる。どうも今一つの印象だったのと、快作としか云えない、いや軽みに隠れてもっと凄い実体が、という両極とまで云わずも、異なるエリアから一本ずつ。
『グレイト~』。手堅い作品であり、期待通りの器とその盛付けを味あわせてくれるが、取り立てて演出の特色·冴えがあるわけではなく、ステージとその旅公演の旅を舞台にし、『嘆きの天使』をトレースしたような、ファム·ファタールもので、名俳優の翻弄され敗残に追い込まれる格調も印象的だが、いまひとつ締まりを欠く角度·パースペクティブ·陰影·縦(フォロー)他移動が組合わさっている、すこし前(スタンバーグやトーランドらを除くと)洗練に至っていない未だ’30年代の平均的作風に留まってる。
それでも、鏡の多様·拘りの活用·使用、隅の天井の闇と影の世界からの視点、終盤になるほど強まる寄ってくカメラの速度·せっつき度と·受ける顔の大写表情の強度、らはこの稀なる映画内映画の粋を極めた作家の萌芽が確かにある。
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それに比し、フライシャー『静かに~』はテイストは色々違っても、初期から達者·巧み、に留まらず映画そのものを、長い間体現し続けて来たことに改めて驚く、各々の時代の要求するものに完全に応えながら。昨年·一昨年、それを代表する傑作乃至はそれに準ずものとして、『その女~』『静かに~』に出会った。今年は仕事とバッティングして両作とも観れない。しかし、朝11時という、生理的に無理な時間で後者はやっている。半ば睡眠となるけどいいか、と再見に向かう。たいして観れてなくても、抜群に映画的に面白さ·魅惑充分と分かる。知能犯で心を病んだ、雨の日に限る連続絞殺犯と、寧ろ内面的に向き合い苦しむ担当の殺人課の生真面目な若き警部補。様々な映画タッチが、まるで一体的に纏まったミート感で、惹き付け魅了する。分からないが以前も同じような事を書いたんだろうな、と思うくらい、期待に更に艶やか·親しみを加えたタッチ。変に展開にリアリティが無いことが映画の自由·快楽へ直結·羽ばたかせる。似顔絵平面図に変わる立体人形による目撃証言確定や、現場に落とされていた三流パルプ雑誌からの出所購入者詰めが、本当に怖い程の存在感や有力証拠足りうるのか分からない位だが、映画的な期待·高揚感は見事に盛り上げる。検証時らの室内複数動きの退きめと寄りの詰め入れの完全密度に·酒場や自室他のどんでんやフォローや90°変や縦図組立の場の押さえ、退き図長めに·行き交う人ら·或いはスーと人と状況を示す空気抜きの入れ方の上手さ、車のスピードや内外の雨の圧力、聴き込みカッティングのDISや傾け図を入れての小気味よさと鋭さ、カメラや人自体が寄ってきての大CUの顔面力入れ、人形が実体人間化する幻想的恐怖や模倣犯の休題にならぬ凄み、互いにコンプレックス抱えても掛け合い鼓舞し合う女性記者とのコンビ~バートナー進展の軽快さ·微笑ましさ(男の刑事相棒もポジショニングが心得ている)、窓からの階下の空気·状況の効果的把握性、身体や施設の分解撮りと組み上げ、それらが『白熱』以上の構図·施設·陰影·アクション·逆転は概念も無意味化の·このバジェットであるまじき成果·効果の終局に集成(大量水が眼前を急に遮る心的オブセッションらも、形象化する)。
睡眠不足で碌々観てもいない人間を面白がらせ、前後関係なくその目が開いてる時だけで、肩の力を抜かせた上で完全に惹き付けてくる映画、そんなにあるものじゃない。
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