まさにその事態が起きてしまった瞬間を引きで撮るボロヴツィクのセンス、覗き見としてのキャメラ、恐怖としての手持ち。それが正しいかどうかは知ったことではないが、グッとあがる。陰惨なくだりがどこか上品に(所々は滑稽に)映るのはエロスも暴力も悦楽で包み込める自信、強さがあるからで、本作と『邪淫の館 獣人』を見る分にはボロヴツィクは相当素晴らしい作家ではないのかと勘違いさえさせてくれる。
ジキルとハイドに美青年時代のウド・キア。ハイドの底が抜けた暴力、「悪」が愛する女性に伝播していき、その女性も自ら悪に染まっていく終盤が最高。善ではなく地獄に道連れ、表現者として信用できる。『邪淫の館 獣人』でも魅せてくれたが、印象的な短いカットを連続で繋いでいくのはかっこ良すぎる。
フェルメールの絵画がずたずたにされ、皆殺しになり、屋敷が崩壊していくなか蓄音器から聞こえてくるハイドの声…「悪と恐怖に栄えあれ、前人未踏の感性よ」。