砂場

ジュノーと孔雀の砂場のレビュー・感想・評価

ジュノーと孔雀(1929年製作の映画)
3.9
映画としては不出来、しかしこれしかなかったというギリギリのドキュメンタリーとしても観れる!


ーーーあらすじーーー
■アイルランドのために戦ってきたのだ!!
団結せよ、男の演説、そこに機関銃照射
■飲んだくれの船長ボイルは妻ジュノーが家にいると知らず飲み仲間の
ジョクサーと言いたい放題、、、そこに妻が怒りの形相
ミシンいらんかね、セールスマンがやってきたり
船長は家の下に誰かいるぞとジョクサーにいうが怖がって見に行かない、、息子のジョニーが窓から見るとトレンチコートの怪しい男だ
■船長は無職で、炭鉱で働かないかという話がくる
■再び船長とジョクサーの飲んだくれ会話、メキシコに行った話、嵐の海、昔話、星とは何か、ジュノーが帰ってきた!慌ててビールや料理を隠す
■娘のメアリーがいいニュースを持ってきたとのこと。婚約者の
弁護士ベンサムも一緒だ。
ジュノーは夫、息子のジョニーをベンサムに紹介する
息子はアイルランドのために戦って腕を無くしたの、こちらは主人のボイルですと飲んだくれ夫を紹介
ベンサムによるとボイルの遠縁エリスン氏がなくなり遺書により、あなたに遺産が入りますとのこと。
■気が大きくなったボイルはジョクサーとはもう付き合わん
ジュノーも家具や服や蓄音機を購入
ベンサムはボイル一家に神智学はヨギと超能力ですと知識を披露
突然、ジョニーがああああ、彼をみた!、、パニック
階段のところにタンカードがいた、、血だらけ、幻覚を見たのか
■そこへおしゃべりのマディガンが来た、みんな好き勝手に喋り出す
ボイルは娘と妻に歌わせ、嫌がるジョクサーにも無理矢理歌わせる
ジョクサーの歌が相当ひどい
■階段をタンカードの母が降りてゆく、息子の死を嘆く彼女
■トレンチコートの連絡員はジョニーにタンカード隊長を敵に売ったのは君だなと詰め寄る


<以下ネタバレあり>
■突如ベンサムの事務所が閉鎖している。
遺書はインチキ、金は入らん、ベンサムはいなくなったらしい
ボイルは金なんて入らないとやけになって妻に嘆く
そのままジョクサーと飲みに行ってしまう
■メアリーがベンサムと別れたことを聞いた男がいい寄るがベンサムの子を宿していると聞くと一気に引く
■トレンチコートの男たちによってジョニーは連行された、警察が来てジョニーの遺体が発見されたと報告
ジュノーとメアリは寄り添い、我が身の不幸を嘆く
姉のところに行くしかない、メアリは父のいない子を産むのだ
ジュノーはマリア様に祈る
ーーーあらすじ終わりーーー


1930年作のヒッチコックのトーキー2本目。
現代人の我々がヒッチコックを見るというのは自分もそうだけど殆どの人がまずは40-50年代の傑作群を見て少し手を伸ばしてこの初期作品群を見ることになると思う。
そうなるとどうしても、黄金時代のヒッチコックらしさを求めてしまうのだが本作はその点で非常に評価が難しい一作だ。
いわゆるヒッチコックらしさ、練られたストーリー、心理的サスペンス、それを表現する映像美男美女のラブロマンス、、などは全く見られず。ほとんど室内劇である本作は「ロープ」のような室内劇であることを逆手に取ったワンカットなどの斬新さもない。
戯曲を原作とするためか、舞台劇を普通に観客視点で撮った映画である。
Filmarksのレビュー数も75人とかなり少なく、「サイコ」2万人、「めまい」1.1万人と比べて圧倒的に人気がない。

ただ本作にヒッチコックらしさがあるか無いかは一旦忘れて、純粋に一本の映画として見るとかなり風変わりではあるが不条理劇のような奇妙な魅力があると思う。
戯曲が原作とはいっても「下宿人」(1927)ですでにサイレント時代からヒッチコック映画らしさが確立されており、そのように撮ろうと思えば撮れたはずだと思うが、あえて舞台のように撮った意図はなんだろうか。

少し本作の背景を考えてみよう。
1921年にアイルランド独立戦争が終結し、同年にイギリスとの間で条約が締結されたのだがそれで平和になるどころか、そこから血塗られた内戦が始まるのである。原作の戯曲はショーン・オケイシーが1924年に書いたものである。
この映画でも息子のジョニーが何度も嘆くのが、かつて独立戦争をともに戦った同士たちがなぜ殺し合うのかという魂の叫びだ。イギリスとの条約をめぐって推進派と反対派が分裂し互いに殺し合い、暗殺合戦、かつての敵イギリスとの密約などアイルランドを分断する悲惨な状況が目の前にあった。
原作が書かれたのはまさにこの悲劇が終わった直後であり、1930年の映画化までも数年しか経っていない。しかもその後もIRAの過激なテロは続いていたのであり一歩間違えると劇場爆破とか映画関係者暗殺などリアルに起こり得た情勢だったと思う。

もともとヒッチコック自身がこの企画には乗り気でなかったらしいが、結果的にこの仕事を受けたわけだ。
リアルにやばい政治状況の中で半ば命懸けでこの映画は撮られたと見るのが妥当のように思える。そこでヒッチコックが考えたのが喜劇性を押し出すことと、映画的リアリズムを廃し舞台劇のようにすること、条約推進派、反対派どちらにも肩入れせずに中立にこの悲喜劇を描き切る
ことだったのではないだろうか。

結果的に今の平和な時代から見ると映画作品としては決して出来は良くない。ただショーン・オケイシーとヒッチコックが命がけで残したドキュメンタリーとしてみるとそこまでして伝えたかったものをなんとか理解してあげたい気持ちになる。

この物語の推進力は、ジョニーが背負っている権力闘争、ベンサムに代表されるカネである。それに平凡な家族が巻き込まれる。
もともとアイルランド独立戦争は宗教的な大義名分だったはずが、同士が殺し合う内戦に至るにもはや宗教はどっかに行ってしまい、権力とカネ、、それだけがこの異常な世界をドライブするものなのであるという強烈な目線。
宗教はというと、色々悲惨な目にあった挙句にジュノーが祈り始めるようにすっかり忘れられている。
異常な時代を描くには映画的には不出来だとしても、ギリギリこれしかなかったのかもしれない
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