北海の小さな島で暮らすことになった画家のユーハンと妻のアルマ。彼らの生活は、ユーハンが妻の絵を描くといった仲睦まじいものであった。しかし長くは続かない。妻のもとには謎の老女がやってきて、夫の本心が隠された日記をみるよう告げられる。一方、ユーハンのもとには昔の恋人であるヴェロニカが現れて、何やら悪い予感が漂う。彼らの生活はユーハンの絵だけでは全く食ってはいけない。金銭的な余裕のなさも不安につながり、次第に彼は正気を失っていく。ユーハンは島の所有者の貴族にパーティーに誘われるが、彼らの様子もどこかおかしい。さらにトラウマとして胸に秘めていた海辺の少年との記憶も疼き、さらなる狂気へと吞み込まれていく。
以下、ネタバレを含みます。
本作の冒頭には、カチンコの合図など制作現場の音が聞こえてくる。さらに字幕では夫が失踪したことが語られ、これからの物語は妻の回想という体が成されている。制作現場の音によって、本作があくまで劇物語であること、妻の回想という体であくまで他人からみた物語であること、この二重の前置きは、主人公のユーハンが抱える不安がベルイマン自身のものであることをひた隠していることを示すだろう。
不安の描写はおそろしい。
1分の長さをユーハンとアルマが沈黙で測る姿には、思わず息を吞んでしまうし、それを映画にして現前してしまうベルイマンの考えには戦慄してしまう。
そしてユーハンの不安は物語が進むにつれ解消されるどころか、むしろ不安が不安を呼び込み増殖していく。ヴェロニカの「死体」からの復活、それに驚くユーハンを嘲笑う貴族たち。さらにクローネンバーグの『ザ・フライ』がオマージュしたような壁を伝い天井に立ててしまう男など、ユーハンに襲い掛かる不可解な現象は、今みても驚く素晴らしい映像表現で、私たち鑑賞者もまたユーハン≒ベルイマンの不安に呑み込まれていく。
果たしてユーハンはどうしてしまったのだろうか。貴族たちは吸血鬼というわけだから、連れ去られてしまったのだろうか。もしかしたら彼がさらに狂い、ひとりで子どもの後を追ったことも考えられなくもないが、妻のアルマの元から失踪した事実に変わりはない。
唯一の救いは、ベルイマンが天寿を全うしたことだろうか。彼の生前の様子は全く分からないし、芸術としての映画を創造することには不安を抱えていたはずである。しかし彼は失踪することなく、多くの映画を産み出した。私はまだまだベルイマンのフィルモグラフィーは辿れていない。全部をみるまでは狂えない。