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ピグマリオンのrsのレビュー・感想・評価

ピグマリオン(1938年製作の映画)
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歩き始めた人形が微笑んで言う。
「レディと花売り娘の相違はどう振る舞うかでなく、どう扱われるかにあります」

ロンドンの下町に雨が降る。中流階級はタクシーを探し労働者階級は傘もささずに働く冒頭に、英国社会における階級の隔絶がみてとれる。
ここから始まるのはピグマリオン神話に基づく物語。王が人形を彫刻したように、言語学者が花売り娘をレディへ仕立て上げる。
けれど真のクライマックスは、レディに変身した花売り娘が舞踏会で花咲く場面ではなく、彼女が先の名台詞を教授へ放つ場面である。それは人形の自我と自尊心が花開いた瞬間だった。

バーナード・ショーは物語を単なる変身譚にとどめず、風刺たらしめた。
レディに中身などないのだから、話し言葉さえ正せば誰でもなれると考える女嫌いの教授。下町にも居場所を失い、結婚という依存しか道の残されていないレディになってしまったイライザ。成り上がった結果、中流階級の倫理にがんじがらめになったイライザ父。
「階級では人間の価値や幸福は定まらない」というショーの教訓がここに込められている。だからこそ、労働者階級の娘は中流階級の教授に嫁入りしては幸せになれないとショーは考えた。

映画では、イライザと教授の心情描写がないので、恋愛のくだりはやや唐突。その点で、心の揺れ動きを音楽で表現した64年版のミュージカルは功を奏したと思える。
64年版の教授はコミカルに描かれてまだ可愛げがあるけれど、こちらのは冷たく傲慢な印象が拭えない。女には中身がないと蔑むが、自分の育てた女が主張しはじめたとたん鬱陶しがる。イライザはそんな男を畏れる必要などない、自分で生きてみせると去っていった。

しかし映画は啓蒙的であるべきとしたショーに反して、製作陣はエンターテイメント性を追求した。映画ではふたりが結ばれるハッピーエンドの可能性が残されている。
イライザは結婚という身売りを選んだわけではない。教授から学んだ「教育」という自立する術を手に入れた。そして対等な立場として、教授のもとに戻ってくる。人形は創造主への依存から脱却し、自立の階段を駆け上がって、包容力を見せるまでに至ったのである。
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