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血を吸うカメラのryosukeのレビュー・感想・評価

血を吸うカメラ(1960年製作の映画)
3.7
冒頭、妖しげな一人称長回しによる惨劇のシーンに引き続き、今さっき記録されたばかりの映像が再度流れる中でのオープニングが洒落ている。
序盤のヌードモデルの撮影シーン、「僕も初めてなんだ」と呟きながらモデルににじり寄っていく主人公の姿。撮影という行為が著しく性的に捉えられているようだ。本作はヒッチコック「サイコ」と並べられることも多いようだが、見つめるという行為、とりわけ窃視にこだわり、官能的に表現する点でもヒッチコックと同質のものを感じる。「サイコ」が引き合いに出されるのは主人公の親子関係に関する心理的な面についてだろうが、上述の点ではむしろ「裏窓」かもしれない。彼がモデルの唇の変形に気づいた瞬間に大きな反応を見せるのは、その欠損と後々明らかになっていく主人公の幼少期の愛の欠如が呼応したからだろうか。このモデルはキーマンになるだろうと思っていたら、以後一度も出てこないので驚いた。
主人公の異常な心理状態を反映しているのであろう、毒々しい色彩に満ちた撮影も見応えがあった。カメラや映写機のフィルムの回転が禍々しい表情で運命の瞬間を導いていく。
映画内に登場する映画スタジオというのは個人的に好きな空間。静まりかえったスタジオで増幅していく緊張感と複数の照明の点灯から始まる「ショータイム」が印象的だった。最初のシーンで、主人公がカメラにかけた黒い布の下にもぐることについてモデルが言及するが、モデルに指摘されるように彼は一方的に「見る」立場を取ろうと試み続ける。しかし、序盤で窓外からパーティ会場を覗く彼が「見返される」ように、彼の企ては最初から破綻の予感を感じさせており、数々のモデルに照明を向ける側だった彼が、スタジオで隠れている際に刑事の懐中電灯に照らされる側に回るシーンに至り、彼は約束された破滅に向かっていくしかないことを確信させる。
「カメラがあなたの一部になってしまう」ことを危惧され、カメラを部屋に置いてヘレンと出かける主人公だったが、ヘレンにキスをされた後、何故だかもう一度「血を吸う」汚れたカメラにキスをしてしまう彼の姿を見ていると、おそらくヘレンは主人公を暗い欲望の引力から引き剥がすことはできないだろうと思わせる。
ヘレンの母との対決シーンで、彼女と主人公は互いに鋭利な先端を向け合い、対等に渡り合う。視覚の世界では支配する側の主人公に対して、彼女がギリギリまで迫ることができるのは、盲目であるからかもしれない。ヘレンの母は彼と同じフィールドでは勝負せず、聴覚と異常なまでの直感で彼に迫るのだ。主人公の背中に映し出される被害者の顔!
意中の女に自分が虐待されていた映像を見せるシーンが飛び抜けて異常な迫力を放っていたが、このシーンはやはりラストで繰り返されることになる。被害者を一様の表情で絶命させてきた仕掛けは、自らの「死」を見せることであった。その禍々しいイメージ...。バーヴァ「呪いの館」のワンシーンを思わせる方法で決着をつける主人公は、同時に「ドキュメンタリー」を完成させる。撮影することで犯してきた罪は、撮影されることで償うしかなかったのだろう。
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