十一

機動戦艦ナデシコ -The prince of darkness-の十一のレビュー・感想・評価

5.0
商業的な成功を考えれば、ただひたすらに居心地の良い世界を再生産し続ければよかったはずだ。どうせ、何年か後に忘れ去られる、その瞬間限りの娯楽作品だ。打ち切りの長編漫画や、未完のライトノベルの山がそれを証明している。
ところがナデシコはそれを許さなかった。自らの手で、自らを葬って見せた。
同窓会みたいなもの、と語られるように、かつての仲間との再会は、今回限りのものであると明示されている。
セミの声。墓地の静寂、色のない遺影に、喪服の黒、全てが別れの予感に満ち、かつて描いた夢が失墜したことが知らされる。
TVシリーズでは、社会的な記憶の戯画として現れるゲキガンガーを相対化し、「私らしさ」を貫いて飛び去ったナデシコは無敵に思えた。それが本作では見る影もない。メンバーは散り散りになり、主人公とヒロインに至っては、死亡したことになっている。よくある逆転劇ではない。話が進むにつれ、不可逆な変化が起こったのだと、観客は知らされ、アキトがレシピを託すシーンで確信する。
たとえ、空想の世界であっても、ガラスケースに閉じ込めておける永遠なんてどこにもないのだと。
しかし、その苦い経験、自ら手放すのではなく、手放されたという経験だけが人を成長させるのも事実だ。人は自らの意思では、捨てることはできても、失うことはできない。現実世界での喪失は、時に致命的な傷を残すが、フィクションがいつか来るその試練への準備になるとするなら、その苦さに意味はある。
そして、良い物語には出口が用意されている。描かれるのは喪失だけではない。
不変であるキャラクターを一度終わらせ、変化を描き、それを受け入れること。逆説的ではあるが、この無常の原理が支配する世界にあって、それだけが唯一、永遠を手に入れる手段として提示される。
少し大人になったホシノ・ルリの「追いかける」という言葉は、その不断の営みをもって、永遠を刻むものとなった。
十一

十一