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レオパルドマン 豹男のhorahukiのレビュー・感想・評価

レオパルドマン 豹男(1943年製作の映画)
4.5
これは大傑作!!

ショウの途中でヒョウが逃げた!捜索隊を結成するも見つからない。今も街のどこかに潜むヒョウに怯える町民たち。そして「ヒョウは人を襲わない」という飼い主の主張に反し、ついに犠牲が出始める…。本当にヒョウが犯人なのか?ヒョウ騒動に乗じた人間なのか?って感じのターナー製ジャーロ。

RKOのレジェンドコンビ、リュートン×ターナーによるホラー最終作。豹男ってタイトルな時点でどっちかってのはわかるし、そもそもリュートン×ターナーってところでもう答え出てるよね🤣他の作品ほどの解釈の余地を残さないところはちょっと異質ではあるけれど。

内容的にも『キャットピープル』『私はゾンビと歩いた!』の諸要素を組み合わせたような感じで、いつも通り異文化との対立を根幹に敷いた「理解できないもの」への恐れを、作中キャラクター同士の関係性から観客とスクリーン内のキャラへの対立へと収束させる素晴らしい作品。ちなみに『キャットピープル』のヒョウと同じヒョウを再登板させてるみたい笑

そして完全にジャーロだったってのが驚き。主要キャラの二面性を徹底的に強調する中で、精神分析的ジャーロの如くな人間の内面を描くために、本作ではヒョウを象徴的存在として位置づけ、ヒョウと人間の内外をテレコにさせているのが面白い。この二面性を描くうえでの闇の使い方も素晴らしく、クライマックスでは、まるで闇(内面)の中から秘匿されていた「ヒョウ」が現実に召喚されるかのような演出にターナーのうまさが出てた。

そして何より冒頭に配置される殺害演出が屈指の凄さ。籠の中の鳥、積み重ねられる日常音、一瞬挿入される引きのショット、突然画面外から侵入してくる轟音、そして対面する圧倒的な「闇」に対して全幅の信頼を置いているのがわかる。ルイスアレンの『呪いの家』でもそうだけど、如何なる時に「闇」と対峙するのか・対峙してしまうのかということにしっかりと向き合っているからこそできる演出。主題とも完全に符合しているし、鳥からスタートすることで貧困という主題を補強する地獄的要素まで巻き込んでるのが良い!このシーンはフリードキンが絶賛してるらしい。

先住民に対する虐殺への贖罪のために毎年開かれる儀式についても、生者側(虐殺者側)の一方的な傲慢の象徴として描かれ、その行列との交差は、まさに傲慢としての外面が内面に巣食う「ヒョウ」の隠れ蓑として機能していることを訴えるあたり原作者なのかリュートン×ターナーか脚本家のものなのかはわかんないけど、終始一貫した意図を並べることでさりげなく深度を増していくのもめちゃ良い。このコンビのホラー3作の中で一番評価低い本作でコレだから、『キャットピープル』見直さないとダメだなって思った。

とりあえず、ヒョウが街の中をウロチョロしてて大変なことになってるのに娘に一人で買い物行かせるママさんのイカれ具合がサイコーだった!しかも「買ってくるまで家に入れないから!」とか言って、娘ちゃんが外で「入れてよ!助けてよ!」と悲鳴あげても無視して鍵を開けないという最恐キャラだった🤣

今日でだいたい落ち着いたので明日コメントまとめて返します!!
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