JIZE

永遠の僕たちのJIZEのレビュー・感想・評価

永遠の僕たち(2011年製作の映画)
3.1
交通事故で両親を失い臨死体験をした少年と不治の病に冒され余命数ヶ月と宣告された少女が似た境遇の最中で"永遠の生"を見出すイノセントな青春映画!!ようやく観れた!..以前BSプレミアムの放送回を監視。本作は青春物の部類でも主役が既に屈折し何かに苛まれ現在を過ごす,という開幕時点でジワっと苦味漂い尚繊細な言葉選びや苦慮する姿勢など純度が高く綺麗な画角体なのは得点的にまず美点だった..作品自体が指し示す最終的な方向性でも"生に執着した話"と"一元化しなかった事"が解釈の余地を柔軟に配し青春映画の物語的構造で良悪を判断する点で成功を収めた溜飲なのかもしれない。若者の難病物はこの映画に限らず死の淵を意識し漂う空虚感と若者自体が宿す純朴さ故に漂う哀愁的な脆弱感の(整合性が通底する)相関は何か澄み渡る神秘的なものを感じ心が浄化される。

まず本作。お話自体をこう要約できると思う。つまり過去に両親を交通事故で亡くしそれをトラウマに未来を閉ざす青年がある重度な病気を患う少女と出会う事で自ら己と向き合いトラウマを克服し外の世界に足を踏み出す,という孤独者の成長譚or死生観を悟る難病物,だと。(確か)年齢設定が劇中で明かされないため背景が少し読み取り難い箇所もあるんですが仮に10代同士だとしても落ち着いた雰囲気の魅せ方で個人的には美点。また開幕早々に主役イーノックが地面に白チョークで現場検証に見立てた図柄を背に仰向けに倒れ身体をなぞった部分と重ね合わす場面も後々中盤ヒロインを交え同じ構図の位置関係を取りコレも死を意識し悟った洒落た演出だなと。中盤,霧が立ち込め夜の森で主役とヒロインが無邪気に戯れ合う場面でも虚と実の境界線を曖昧とさせる雰囲気造りが全体を覆い特に印象的であった。

概要。死にとらわれた愛と再生を描く青春映画。監督は『ミルク』や『グッド・ウィル・ハンティング』のガス・バン・サント。主演には追悼の意を込め故デニス・ホッパーの息子ヘンリー・ホッパーが抜擢されヒロインには『クリムゾンピーク(2016年)』のミア・ワシコウスカが共演を果たす。また本作は日本出演陣から主人公の友人役として加瀬亮が出演を果たしました。
※少し余談を付け加えれば加瀬亮の役柄含め賛否両論が分かれるポイントではあった。それに関し下記で述べてます。

では本作,結論を申せば,凛と張り詰める透明度と哀感染み渡る"綺麗な映画"な事は勿論,古びた"死生観を覆す映画"でしたね..まず骨格は演出的な外連味をほぼ排除し直球構造。群青調なピュア色で描いてる分,胸打たれる場面も勿論多く適度に来る数々の死期を予感させた深刻な場面は感傷的な余韻を残します。。生や死を間近に映し出す映画単体で観てもメッセージ性は永遠の切り口があるように思えた。「今を懸命に生きろ!」や「時間の有限性を大切にしろ!」など軽い解釈は除外し,この作品が総括的にも真に主張したかった事。要はこういう事だと思えた。人間誰しもが生の起源,つまり慈悲深き生命を両親から授かり年月を費やすに連れやがて老い死期に迎え身体が朽ちる。この一般的な(悪い言い方をすれば単調とも取れる)循環構造の考え方に監督は嫌気が差していたのかもしれない。要は概念的な古くからまかり通る,生と死の狭間を一旦排除し"死を生の一部"であると肯定すれば(友情や恋情でも)当人同士たちが共有し合える"永遠の生"がそこには存在し価値認識としても通底させる事が出来るんだと。更に要約すれば"ポジティブに死を享受する"事で今この瞬間における肉体的な関係性が1度切れても"命の魂(霊魂)"が永遠に尽きない事を謳う啓蒙的な部分も背景に見え隠れした。だが..コレは輪廻転生の論理を少し否定したものなのかな。。とにかく死と隣り合わせになる事を命の延長線上に捉え劇中の人物が永遠の生を掴み取る暗喩はこの映画ならではの気の効いた独創的な切り口の部分であった。

また本作でキーパーソンを担う加瀬亮演じる幽霊のヒロシ。一応設定は日本の第二次世界大戦で戦死した特攻隊員という定義がなされているが,このヒロシに関し個人的な見解を先に呈せばやっぱり違和感が拭い切れない..彼周りだけ異質な空虚感を感じさせ私自身は彼の存在が終始違和感の塊だった。むしろミアやヘンリーと同じ画角内に映らないでくれ!!..と嘆願した程に。要はイーノックと鏡像関係な立ち位置を踏み心の問い掛けに答える存在として勿論幽霊だからほぼ無表情で場に佇む訳ですが,まあ戦艦ゲームをやったりヒロシ自身が戦時中に恋文を書いたも手渡せなかった妄念からイーノックに望みを託し反面教師な姿勢で助言を煽るんですが,端的に現在に生きる別のキャラで代役を設けれなかったのかと。。ヒロシが登場する場面だけそれまで自然に流れてた雰囲気が一瞬止まるんですよね。大惨事を招き兼ねないイーノックとヒロシが列車に石ころを投げる場面でもこの映画で唯一悪影響を及ぼす恐怖描写。態々日本の兵士を背景に選び抜いた理由もイマイチ説得味が欠如し抽象的な言い方になりますが微妙でしたね。この映画って彼の妄念を背負い主役が厚生する話でしたかね。。

勿論永遠に語り切れない最良な場面も無数に存在した。例えば,イーノックとアナベルが初対面を交わす序盤,告別式の場面でもアナベルがイーノックの視線に気付き一旦笑みを浮かべ再び前方に視線を戻す。そして次の場面に切り替わりアナベルがイーノックには他者の葬儀に参列するという変わった趣味がある事に気付き似た境遇である彼に対し興味を抱く表情推移の繊細さ。何か神秘的な事が起こりうる画面自体は空虚なんだけど読み取れる表情自体はその奥に秘めた光や希望もしくは生(性)の感じさせ方を類推させる。また劇中で度々イーノックとアナベルがお互い過去を打ち解けあい似た境遇から距離感が徐々に縮まる青春映画の淡い醍醐味,余命3ヶ月のアナベルが「ダーウィンの進化論」を崇拝してる事は劇中場面で垣間見えますがその生物の循環的な話も生と死の暗喩に直結し作品自体に重ね合わすメタ的な切り口,など透き通る空気感が登場人物たちの純的な葛藤や訴え掛ける場面を刺激的に浮かび上がらせ青春映画として健全な構造に思えました。ミア・ワシコウスカの短髪もいい意味で若さを放ち彼女自身が持つ意志の強さや純的な輝きが洗練されていたように思う。当初は抜け殻状態だった彼(女)等が現在に至る心境を今一度肯定し解決に向かう姿勢自体にジンと胸打たれる場面があった。センチメンタルな若者たちの今を駆け抜ける素顔と生きる事の意義を最大限問い詰め考え直す1本に是非。