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新サスペリアのhorahukiのレビュー・感想・評価

新サスペリア(1986年製作の映画)
3.4
『ヘンリー』をジャーロ化したら…

フィレンツェの連続殺人鬼(Il Mostro di Firenze)による実際の事件に着想を得たジャーロ映画。製作当時に進行中で未だに未解決な当該事件を、ジャーロの大御所ガスタルディとカルニメーオの共同脚本、『歓びの毒牙』の製作総指揮テッティ監督により映画化したトゥルークライムとジャーロの融合。

フィレンツェ大学で犯罪心理学を専攻中の主人公クリスティアーナは、7年前に起きたカップル射殺事件をテーマに卒論を執筆中。タイミング良く、同じ手口の殺人事件が発生したため、同一犯ではないかと考えて単独で調査を開始する…。危ないからやめとけと言う彼氏や担当警部、「やめろ…」と告げるイタズラ電話にもめげずに捜査続行。クリスティアーナさん卒論への情熱すごすぎるよ…😅

プロローグで描かれる最初の被害者の死体をマッチカットによって主人公へと繋ぐ同一化演出が既に不穏で、実際の事件だからすんごい不謹慎だけど、殺された被害者の無念の体現として主人公というキャラクターを設定していることがここで読み取れる。つまり主人公の異常なまでの事件への執着は、犯人逮捕を願う被害者たちの思いの総体。犯罪心理学の教授、医師(検視医?)である彼氏にそれぞれ裏に隠した闇を匂わせ、本来的に犯人逮捕を担うはずの者たちが主人公の足を引っ張るもしくは犯人である可能性すら浮かばせるような描かれ方をしていることにも製作陣のシニカルな意図が窺える。警察なんてほぼ蚊帳の外だし🤣

そしてやはり面白いのはラストシーン。客観映像かと思いきや犯人目線の主観映像、しかもその犯人そのものを観客に担わせるという狂った演出で終幕とするセンス。映画内映画(本作)を観客として楽しむという、事件のエンタメ化への皮肉だけではなく、観客がこの映画を通して追っていた主人公をも、窃視的に観察することで観客それぞれが好奇心による搾取をしていただけなのだと訴える人の悪さ。

それはつまり、事件そのものだけではなく、「被害者の無念の総体」すらもエンタメ化して心の中で楽しんでいるという二段落ちの皮肉の深化。そしてそれを映画として提供してしまっている自分たちへの自虐まで含んでいるというのが凄い。金を払って覗きをする集団が出てくるのだけど、あれはまさしく映画を見に来ている観客そのもの。店のオーナーは製作陣なんじゃないかな。だからこそあの顛末。ちなみにこの集団も事実に基づいているらしい…😱

VHSの画面が暗すぎて殺害演出をほぼ確認できなかったのだけど、森の中に車を止めて致してるカップルを銃殺→女性を裸にしてナイフで色んなところグサグサ→生殖器の切り取り(その他バリエーション)に至る実際の犯行手口をなぞっているらしい。実在ゆえの配慮からか、様式化されたジャーロ特有の外連味たっぷりなスタイルはなく、殺しは淡々と行われる。だからジャーロとして期待される面白さはそれほどないのだけど、なかなか面白い作品でした。ちなみに『サスペリア』とはジャーロであること以外に何の関係もありません😂
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