このレビューはネタバレを含みます
"ハネケの作品にはいつも子供の眼差しがある"
エジプト滞在中の母子のやり取りに、この映画の真意を紐解く手がかりがある。
ベニーが撮影するビデオには必ずと言っていいほど母親が映っているが、
それに対し母親は遺跡など風景ばかりを撮り、他意はないにせよベニーを画面の外に追い出そうとさえする。
事件直後、事後処理の相談をする両親の会話さえもベニーは撮影をしていた。
もしかしたら、彼らの会話の中に「自分の存在」を見つけたかったのかもしれない。
ベニーにとって、対面した肉声での
「愛しているよ。」という言葉よりも、
ビデオ(虚構)の中に映されている事柄のほうがより真実に見えるのではないか。
彼がテレビを"カメラ越し"に見る行為の持つ意味も、それを考えると色々見えてくる気がする。
ハネケ作品にはいつも無邪気な眼差しがあるように思う。
大人の目を逃れた、または彼らの眼差しを浴びられなかった、その純粋さが引き起こす事実を実直に描く監督なのだ。