Fitzcarraldo

最高のルームメイトのFitzcarraldoのレビュー・感想・評価

最高のルームメイト(1994年製作の映画)
5.0
「子供・動物・老人…現実に人間社会を支配していいる力関係の中では軽んじられている立場、だからこそ世俗的な論理を超えた“何か”を感知する能力があって、なかでも老人というのは、自分自身で直接的に“力”を発揮することはもはやできないけれど(ここが重要で、実行力まで持ってると主人公の出る幕がなくなってしまう)、本質的にはどんな暴力をも凌ぐ武器である“知恵”を備えている、そしてそれを授ける術を持っている、要は主人公にとっての“師”となる存在なわけです。基本的に“主人公の成長”を描くのがエンターテイメントの王道である以上、生物学的に年をとっているかどうかにかかわらず、こうした“老賢者”的な役回りは常に不可欠であるとさえ言えるでしょう。
中にはね、“このクソジジイ”としか表現しようのない偏屈者もいることでしょう。でも、例えば『グラン・トリノ』を観てくださいよ。逆に、師であるはずの側が若き不肖の弟子との交流から何かを学び、最後には成長する、ということもあるんです。
とにかく、お年寄りと若者の交流は、どっちにしたってドラマティックになるってことですよ!」

『ライムスター宇多丸の映画カウンセリング』P130〜より抜粋

数多ある老人映画の中から“おじいちゃんもの”として宇多丸氏がオススメしていたのが本作“ROOMMATES”邦題を『最高のルームメイト』…またしてもいけ好かない邦題をつけやがる。
大林宣彦が言うフィロソフィーをまるで感じない。
1994年製作で日本未公開だから別に邦題をどうこう考える必要もなかったのだろうか…なら原題のままでとも思うのだが、この邦題問題は未だに続く悪しき慣習で排除することは甚だ困難だと感じる。
チラシやポスターのデザインにも同様なことが言えるのだが、何かこちら観客サイドを赤子を扱うが如く過保護に丁寧に分かりやすくをモットーにやってやしないかい⁈映画館に並んでいるチラシを見れば一目瞭然だが、揃いも揃って幼稚で、短絡的で、真新しさは皆無…観客サイドをなんだと思って作ってらっしゃるのか…あのチラシを見て、この映画を見たいと思う人が一人でもいるのか甚だ疑問である。これは邦画・洋画どちらにも言えることだと思う。

さて宇多丸氏が生涯不動のベストムービーという『ヤング・ゼネレーション』を監督したピーター・イェーツ氏が本作の監督であり、だから好きというのも大きいと映画カウンセリングの著書でも語っている。

宇多丸氏のラジオを聴いていたお陰でピーター・イェーツという名前は覚えていたが、作品は見よう見ようと思いながら、未だ見れていなかった…漸く最高のルームメイトで筆下ろしとなる。
最高のルームメイトで筆下ろしというと何かエロい映画を安易に想像できるが、エロはないので悪しからず…。

さて物語の話を…

先ず製作会社のロゴが現れる。
そして黒バックに白文字でクレジットが次々と表記される。そのバッグに流れる曲が素晴らしい。今どきの映画ではまず掛からないだろう曲調。何かが始まるんだというワクワク感も増幅させてくれる豊かな音楽。いい曲だなぁーって思ってたところで“Music by Elmer Bernstein”とクレジットが現れる。ん⁈タイミング良すぎだろ⁈バーンスタイン…?何か聞いたことある名だなと思って…この瞬間は映画に集中したから流したが、後から調べたら出るわ出るわ名作映画の数々。エルマー・バーンスタインさんは映画音楽のレジェンドでした。いやいや、さすが匠の仕事をしてくれてます。全編にわたり素晴らしい音楽が画面に彩りを加えてくれます。

さらにさらに本作の素晴らしい点は、お笑いでいうところの天丼のようなネタ振りを幾重にも幾重にも重ねて描いているところ。その積み重ねが乗っかる度にブルルンと涙腺を刺激して、最後には決壊します。

オープニングは正に“20th Century Women”の如く、過去の映像のモンタージュの上に登場人物のナレーションを重ね、正に最短で効率的に登場人物を説明しきってしまう。
何の作品だったかは思い出せないが、ナレーションを多用していたクソつまらない邦画のお陰でナレーション使いは嫌いだと思い込んでいたのだが、“20th Century Women”を見返してみても、本作でもナレーションを効果的に使っていて、全く悪くないじゃん…いや逆にナレーションを巧く使えれば、より映画的に物語を語れるのだと改めて強い衝撃を感じた。
シナリオセンターでもナレーションは極力使うなと教わったし、そもそものナレーションには小説的要素を感じていたので、簡単に話させるのではなく、画で語らせたいという思いがあったが、いやいやどうしてどうしてナレーションめちゃめちゃいいやん…私小説ならぬ私映画のよう。これはこれでひとつの“私映画”というジャンルとして確立することが出来そうな気がする。オレが知らないだけでもうそうやって言われてるのか…⁈知らんけど…
とは言いつつも本作のナレーションは初めと終わりくらいで最小限に留めているあたり、やたらめったらと使うのではなしに最大限の効果を出せる範囲で使うという辺り賢さを伺える。

この辺は、脚本なのか監督の演出力なのか双方なのか…とにかく素晴らしい。

ドゥパ ラニ プシキ…
葬式での口笛…
唇をOの形にして…と口笛の吹き方を教える…
怪獣のようなイビキと呪文のような寝言…
トランプゲームのジンラミー…
コーヒーには必ずミルクなしというセリフが…
新聞の求人欄を見ること…
ボーリング…
悪くない…

これら全てが重層的に積み重なっていく。無駄のないセリフや行動…悔しいほど素晴らしい‼︎
いちいちどう使われたか列挙したいが、それは見たら分かるのでここでは語らない。

ウィスキーは時間を飲むものと言うが、映画は時間を見るものだと思う。

時間は目には見えないが、時間経過は見える。少年が成長して大人になり結婚してという目で見えるカタチとして…

その意味での本作はまさに時間を見る行為だと言えよう。

そしてこの素晴らしい本と演出に乗っかる役者もまた素晴らしい。ジュリアン・ムーアはまだまだ素人感が残り凄くチャーミングでカワイイし、頑固ジジイのピーター・フォークは言わずもがな素晴らしい演技を見せてくれているので、是非とも多くの人に見てもらいたいです。

劇中で何度も出てくるトランプゲームはジン・ラミーと言いコントラクトブリッジ、ポーカーと並ぶ世界三大カードゲームのひとつらしいのだが、全く知らなかった…
まぁルールを知らなくても全く問題ないのだが、一応ルールを知っておくと、なぜマイケルは退屈そう顔をしてるかが分かって、より一層映画の世界に没入できます。

このジン・ラミーというカードゲームめちゃくちゃ面白いので、ネットで無料対戦できるので是非ともオススメします。なぜロッキーが悩むのかゲームをやれば分かります。

そうそう、この頑固ジジイはポーランドからの移民で米国に移って 米国名を付けられ、その名がロッキーという…。

いまのトランプ政権は移民に喧しいお陰で各地で対立が起こってるようだが、まだまだ寛容であった時代のよきアメリカを本作で体感し、エイドリアーン‼︎ならぬロッキージジイを刮目せよ‼︎
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