Ricola

曳き船のRicolaのネタバレレビュー・内容・結末

曳き船(1941年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

ホラー映画というほどの恐怖を煽られるわけではないが、背筋が凍るようなラストであった。
前半は荒波にのまれる船を舞台にしているためアクション映画的とも捉えられると思うが、後半からはラブロマンスとスリラーという顔を見せる作品である。

アンドレ(ジャン・ギャバン)が船乗りのため、なかなか一緒に過ごせないことを不満に感じている妻のイヴォンヌ(マドレーヌ・ルノー)。
妻の心配をよそに、アンドレは船上でカトリーヌ(ミシェル・モルガン)という女性に惹かれてしまう。


嵐の夜、結婚式の途中で新郎とその先輩にあたるアンドレは船の救出のために海に出ていく。
残された新婦とイヴォンヌが二人で話しているシーンにおいて、イヴォンヌの予感が示されている。
窓から入ってくる風と雨が凄まじく、表彰状の入った額縁が割れるというわかりやすい不吉な予感の導入。
イヴォンヌは新婚の彼女にこのように語りかける。
「彼には海があっても、わたしには彼しかいない」「愛し合っていられればそれだけでいい」と。この言葉を受けて新婦はイヴォンヌの隣に座り、より真剣な眼差しを向ける。
アンドレが離れると「死の恐怖と悲しみと孤独」に陥るとイヴォンヌが言うと、
どんどんカメラは引いていき、いつの間にか窓の外にまで出ている。
雨が窓に張り付いてぼやけて見えるけれど、寄り添う二人のシルエットがフレーム内フレームに収まっていることはちゃんと確認できるだろう。

カトリーヌとイヴォンヌという二人の女性とのアンドレの関わりについて、窓という境界で外と中の世界の線引きがされていることがわかる。
窓から海が見える部屋にアンドレとカトリーヌは入っていく。窓からの景色がはっきりと見える状態である。
窓辺で二人は愛を伝え合ってキスをする。
それに対して、イヴォンヌとは室内で窓から海を見つめることはない。見つめるどころか、カーテンが邪魔をして外の景色が見えない。
ただアンドレが窓を越えてベランダに出ると、イヴォンヌも彼を追ってくる。
そこで彼らは外を見つめることになるが、もちろん窓を通してではないのだ。
ここで窓というのは、理想や幻想をもたらすものとして機能しているようだ。
窓を通さない夫婦というのは、現実を生きているのだろう。

すきま風がピューピューと鳴り、雷の鳴り響く夜がこの作品のクライマックスである。アンドレが夢から醒めるときである。
カトリーヌの悟った表情は非現実のもののようだ。
「雷が私を呼んでいる。そろそろ去らなければならない」
何とも意味深な台詞を彼女は放つ。
カトリーヌという女性はアンドレにとって幻なのか、それとも本当に彼女の存在が幻なのかは定かではない。
ただ、カトリーヌ自身がアンドレのためにそのように演じ切ったようにも思える。

おそらく聖書かキリスト教関連の言葉が心ここにあらずな調子で読み上げられるなか、アンドレは大切な「現実」を見失ったことが皮肉として浮かび上がり、物語は幕を閉じる。

ミシェル・モルガンの神秘的な魅力が十分に発揮されており、この幻想的だが現実的という作品の二面性は、モルガン演じるカトリーヌという役どころにも当てはまることなのだろう。
Ricola

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