Iri17

ザ・バニシング-消失-のIri17のレビュー・感想・評価

ザ・バニシング-消失-(1988年製作の映画)
5.0
究極の悪。それは本質的な性質としての悪である。

フランスを車で旅行中のオランダ人カップル。二人は冒頭から口喧嘩をしている。さらに暗いトンネルの中で車がガス欠を起こし、動かなくなってしまったため彼氏はガソリンを取りに行く。戻ってきたら彼女は車にいなかった。
暗いトンネルで取り残される不安感、忽然と消えてしまう焦燥感、この映画の核となる部分が冒頭のこの映像で示される。
ここでは彼女はトンネルの外で彼氏を待っていただけだった。二人は仲直りし、サービスエリアのような場所に立ち寄った。
しかし彼女はそこで売店に寄ったまま姿を消してしまう。

彼女のことをじっと眺める男がいる。彼こそが犯人なのだ。
この作品はサスペンスではない。序盤のうちに犯人の存在は明らかにされ、予告編でも犯人は示されている。
この作品は彼女の行方という真実を求める男と、悪そのものである自分という存在を探求する二人の男の話だ。

犯罪者は大抵、金に困って、誰かを恨んで、精神に異常を来して、もしくは幼い頃のトラウマによって犯罪者を犯す。
しかし、この映画の犯人は違う。彼は異常者だが、彼の悪は生まれついた性質であり、異常こそ彼の正常なのだ。
だから恐ろしい。彼は間違ったことをしている自覚がないが、自分が悪であるということにはなによりも自信を持っているのだ。

これこそ圧倒的な悪だ。歴史上にもそのような人間が何人かいたが、彼らの多くは人類社会のあり方を変えるほどに多くの損害を与えた。
犯人の過去が明かされる。特別不自由ない少年時代、しかし彼は欲望を抑えることができない。衝動的な行動を人は理性で抑えるが、犯人は理性によって衝動的な行動を取ろうとする、それこそ彼のアイデンティティだ。家族もいる彼を世間は異常者だと見るだろうが、彼こそがまさに悪の権化なのだ。

後半の二人が対峙してからのシーンは恐ろしい。こんな恐ろしいシーンに僕は出会ったことがほとんどなかっただろう。
そしてこんな恐ろしい結末の映画を僕は知らない。この映画の結末の恐ろしさ、それは人間が最も恐れる究極の「悪」だ。相手に「正義」があるからこそ実行できる「悪」。僕たちが正しい人間であろうとする限り、彼の「悪」の魔の手から逃れることはできないし、彼の「悪」に打ち勝つためには僕たちは「悪」にならなければならない。究極の「悪」は全ての正義を棺桶に入れて埋めてしまう。

この「悪」と戦う術を僕は知らない。
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