YasujiOshiba

パルチザン 対ナチス解放戦線のYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

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YT配信映像。最初に見たのは2000年のヴェネツィア映画祭。ああこれが北部のパルチザンの戦いなのかと思った。緊張感、空腹と欲望、その汗臭さと息づかい。テキストで知っていたものが、とつぜん生々しく目の前に現れた。イタリア北部の抵抗運動の剥き出しのすがたを見たきがした。

原作はベッペ・フェノッリョの『Il partigiano Johnny』(パルチザンのジョニー)。実際にパルチザンとして戦ったフェノッリョの実体験をベースにした小説であり、イタリア・レジスタンス文学の代表作だが、邦訳はない。これはその映画化ということ。

舞台は、ピエモンテのアルバを入り口とする丘陵地隊ランゲ。今でこそワインやトリュフで有名だが、当時は貧しい地域。その貧しさの中で、トリノ大学に進学させてもらえた秀才ジュゼッペ・フェノッリョ、通称ベッペは、大学を卒業する間もなく招集されて、あの1943年9月8日を迎える。連合軍との休戦協定が発表される。イタリアは降伏したのだ。すぐさま半島はドイツ軍に占領され、ファシズムが息を吹き返す。正規軍に入っていたフェノッリョはローマから故郷のアルバ(ピエモンテ)までなんとか帰ると、葡萄畑の家に隠れることになる。

それが映画の始まりだ。兵役を逃れてきたものは、出頭して息を吹き返したファシズムつくか、姿を隠すしかなかった。みつかると連行される。実際、主人公の友人は逃げ出したところを射殺された。

その死をきっかけに主人公は山に入ると、最初に出会った部隊「ロッシ」(赤)に志願、共産主義のイデオロギーを掲げかけるビヨンドの部隊で、むかし英語の時間にそう呼ばれていたからだと、自らをジョニーと名乗る。「パルチザン・ジョニー」の誕生だ。

ビヨンドの部隊はしかし、ドイツ軍の攻撃されて散り散りになる。ジョニーは次に、カリスマ指揮者のノルド(北)が率いる「バドッリョ派」の部隊に入ることになる。バドッリョとはイタリア正規軍の将軍。ムッソリーニ更迭の後で首相となり、休戦協定を締結してイタリアの再起をめざていた。

そのバドッリョの名前を冠する部隊は「アッツッリ」(イタリアのナショナルカラーである "空色" )あるいは「アウトノミ」(自治派)と名乗り、連合軍とも連絡を取り合い、武器や装備も充実し、訓練も行き届いていた。

ジョニーはこの舞台で旧友のエットレと再開すると、故郷のアルバを奪還して自治政府(アルバ共和国)を打ち立てる。しかし、占拠したのはわずか23日。ファシズムの反撃にあって散り散りになり、エットレは捉えられ死刑を宣告される。ジョニーは、エットレと交換するための捕虜を捉えるのだが、うまく交換にはいたらない。

やがて1944年の厳しい冬が来る。兵士たちは消耗してゆく。春。ゲリラ戦の再開。ノルドの舞台はふたたび100人近くになっている。ノルドが檄を飛ばす。「きびしい冬だった。しかしこれが最後だ。来年の冬は平和にすごせる。家に帰って、暖かい場所で、スリッパに履き替えて、もしかすると結婚しているかもしれない。だとしたら悲劇だな」...

結婚することを悲劇だと言えるのは平和の証。その平和のためにこの戦いを終わらせる必要がある。ノルドが続ける。「今日我々は100人ほどだ。明日にはきっと倍になる。1ヶ月後には数千人だ。そして攻撃を再開する。イギリス軍もやって来るはずだ」

兵士たちが歓声を上げると、ノルドが締めくくる。「春にはすべてが終わっていることだろう」。じっさい、1945年の4月の終わりごろまでにはドイツ軍は撤退し、ファシストたちは後ろ盾を失い、半島のほとんどが解放されることになる。

「それまであと2ヶ月」。そんな最後の文字が出る直前、ジョニーは撃たれた仲間の機関銃をつかんでいた。「退却、退却するんだ」という声に、なぜか笑顔を向けると、すぐにダダダダと乾いた銃声が響く方に向き直る。ストップモーション。そして暗転。

映画はそこで終わる。小説を書いたベッペ・フェノッリョは生き残った。しかし、映画/小説のジョニーはどうなのか。殺されたのか。生き延びたのか。それがわからないままに映画は途切れ、解放の直前で時間を停止させられたまま、ぼくたちをヒリヒリするような空気に包み込む。

その空気は、やがて歓喜へと変わるのかもしれない。死者たちは英雄に祭り上げられ、レジスタンスの理想が旗めき、新しい春が新しい時代を告げる。王政は廃止され、イタリアは共和国になる。

しかし、あの空気を満たしていたヒリヒリとする痛みが消えることはない。すくなくとも、生き残ったベッペ・フェノッリョの戦後は、ほとんどそれだけを描き続けるが、40歳をすぎたところで病に倒れる。やがて忘却の霧がわいてくると、霧の中で、かろうじてフェノッリョの名前だけが彷徨うことになる。

その名前を霧の中から救い出したのが、この映画の脚本を書き、監督をすることになるグイード・キエーザだ。アメリカで映画を学んだキエーザは、故郷を離れてみて、故国では忘れられつつあった「内戦」というテーマに関心を持つ。しかし、時がたつにつれて内戦よりもむしろ、内戦の日常のなかでジョニーのようなひとりの兵士が何を思い、何を感じ、どうやって人として生き抜いたかが気になってきたという。

たしかにフェノッリョが描いたのは「イタリア人がイタリア人と殺し合う」姿であり「内戦」だった。しかしその筆が、虚飾を排した言葉で浮き彫りにしてきたのは、内戦の現実にあってなお人間として生き延びようとする個々人の姿であり、その剥き出しの実存だった。

それを、キエーザのカメラも捉えようとする。ジョニーのこわばり、気恥ずかしさ、気後れ、喜び。その足取り、その食べ方、その寝方、その踊り方、女性の扱い方、そして銃の打ち方、人の殺し方、森の中の歩き方、逃げ方、飢えの苦しみと、スープの暖かさ、タバコの紫炎、そしてその背後に美しいランゲ地方の厳しい自然と、内戦の現実。なるほどこれは人間の叙事詩であり、現代のオデッセイアと呼べるものなのかもしれない。

いやそれにしても、この名作が日本では未公開でビデオスルーで、いまだブルーレイはおろかDVDも出ていない有様なのが悲しい。でも Guido Chiesa 監督のHPではシナリオもアップされている。イタリア語が読める方はぜひ。

http://guidochiesa.net/media/opera/guido-chiesa-e-antonio-leotti/il-partigiano-johnny/Il%20partigiano%20Johnny_.pdf

追記:

邦訳はないと書いたけど、なんと大学のずっと上の先輩がネットに翻訳をアップされている。パゾリーニなどの訳業がある方だから、どこの出版社からも断られたのだろうか。

興味のある方はぜひ、以下のサイトに行ってみてほしい。
http://bfpartigianojohnny.blogspot.com/2009/02/blog-post_4234.html
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