🇸🇪スウェーデンの巨匠、イングマール・ベルイマン監督作品
『鏡の中にある如く』(1961)、『冬の光』(1963)、『沈黙』(1963)のいわゆる、「神の不在」三部作の第一作目
映画的で詩的でもあるタイトルと共に、映像美に溢れており、「神」の存在について、真剣に向き合った大傑作であった。オールタイム・ベストテンに入れたい
舞台は、絶海の孤島、登場人物は娘、弟、父、娘の夫と、その四人だけである
限定された設定と、登場人物は、舞台的、なにかしらの実験室のようでもある。
精神を病んでいて、女盛りの娘を演じるのは、ハリエット・アンデルセン、彼女は、ベルイマンの初期の傑作『不良少女モニカ』(1953)の主演女優であり、この作品では、「神の姿」を見てしまい、発狂をする。ベルイマンの各作品は、繋がりがあるようで、モニカが発狂する迫真の演技は観ていて辛い。また、ベルイマンがいかに、「神の存在/不在」を追究していたのかが判る
各作品に繋がりがあると書いたが、最初の四人の登場の仕方も、手を繋ぐ構図が、『第七の封印』(1957)のラストシーンを彷彿とさせて、怖い。彼ら四人は「死神」、「死」に囚われているという事であろう。神の存在は分からないが、人間には「死」が確実に訪れるという、真実の指摘。
限定された土地での、限定された人物による、実存主義的なドラマとしては、ベルナルド・ベルトルッチの中枢的作品である『ラストタンゴ・イン・パリ』(1972)と、『シェルタリング・スカイ』(1990)を想起せざるを得ない、ベルトルッチはベルイマンの血脈でもあるのだ
「神の存在」が今日に於いても、科学的に証明されない問題については、俺にとっても由々しき問題である。
『鏡の中にある如く』の製作時から、更に科学は進んでおり、都市伝説系のYouTubeを見れば判るが、「シミュレーション仮説」が徐々に有力となって来ている。俺はショックだった
だから、この映画の絶海の孤島という設定も、バーチャルな世界観の設定に見えてしまい、壮絶なものを感じる。この島、この次元からは抜け出せないみたいな。
スヴェン・ニクヴィストによるモノクローム撮影、陰影も豊かで、焦点深度が深い。暗い船室での姉弟の相姦も、エロチックであるが、何かのアドベンチャー・ゲームの設えられた場面の様にも感じた
孤島での、鳴り止まない不穏な警笛の連続、その尋常でない空気感は、ホラー映画の傑作、ロバート・エガース監督の『ライトハウス』(2019)と同じで、ベルイマンの影響力の広大さに、恐怖すら覚えたよ。
娘の見た「神」は蜘蛛の姿をしていて、顔は無表情であった、そうだ。その部屋の壁紙は、蜘蛛の巣のようでもあり、少し柱が歪んでおり、ドイツ表現主義の美術の部屋に似ている
娘は既に発狂していたのか、本当に神の姿を見たのか、或いは異星の天才プログラマーの姿?。
ベルイマンの鬼才、「神」を求める姿は、バーチャルリアリティ仮説的な感覚にさえ到達していたのかも
ラストで娘の父は告白する
「神は存在する。それは、ただ愛の中に。ただ、死が訪れるまでの猶予である。」
容赦がない、やはり、ベルトルッチ的である。
広大なイングマール・ベルイマンのフィルムグラフィーを眺めると、彼は映画の神であろう。唯一神では無いにしても
●余談
イングマール・ベルイマンの本当の発音は、イングマール・バルマン⬅️ベルイマン生誕100年映画祭パンフより
ベルナルド・ベルトルッチの本当の発音は、ベルナルド・ベルトルゥチ⬅️徹子の部屋より👩、本人が言っていたぉf(^_^)
【後で、推敲します、少し】
2022年映画館鑑賞 42本目
2022年鑑賞 60本目