LEONkei

裸の猿のLEONkeiのレビュー・感想・評価

裸の猿(1973年製作の映画)
1.5
『裸のランチ』『裸の銃を持つ男』『裸の大将』『裸の太陽』、『全裸監督』は映画ではないか…〝裸〟映画は星の数ほどあるが、〝裸〟3部作の最後は猿で締めくくり。

裸、裸、裸…当然ながら3部作と言っても全く無関係で繋がりもなく、ただ単純に自分が〝裸〟映画を立て続けに観ただけです。

しかし何故ゆえに自分が〝裸〟映画に執着したのか、または如何にして〝裸〟映画にたどり着いたのか…。



人類は肉体的進化はあっても、精神的進化は全くしていない。

むしろ過去を蔑ろにし退化しているようにも思える。

それもその筈、地球が約38億年前に誕生し類人猿と人類が分かれたのが約500万年前、そして現代人の原形と言われている新人類〝クロマニョン人-ホモ・サピエンス〟はわすが約20万年前たらず。

100年1000年レベルでは38億年の地球暦の中では大した年月ではなく、人類は進化もなければ成長も見えない単なる〝点〟でしかない。

今現在我々人類がコロナに怯え生命の危機を抱きながら生きていても、地球暦から見た様々な危機と比較すれば小さな小さな出来事とも言える。

人間は誰もが必ず死ぬと理解し生きてさえいれば、コロナの恐怖も日々日常の悩みも大した事ではないと思えるだろう。

大事なのは生きている間に何をするか何ができるか、そして死に方だ。


人類誕生から現在に至る過程をひとりの青年の妄想で、『人類とは何か』『生命とは何か』をブラックジョークを交え実写とアニメーションコラージュで駆け巡る。

しかし小学生レベルの歴史教科書的な大雑把で薄っぺらい内容で、子供が観るような作風でもなく方向性を見失った退屈なコメディ映画。



そもそも全裸だった猿が布を身に纏った行為から欲望が覚醒され、欲望のない人間との歩む人生の方向性が違ってきた。

全人類の行動は1つに集約されている訳ではなく、結果的には欲望あるボス猿に全人類の方向性を委ねられている。

その方向性を阻むものもまた、違う欲望のボス猿でしかない。



全裸で寝た時のあの開放感と何とも言えない心地良さは、ホモ・サピエンスのDNAを蘇らせ再認識させる行為かもしれない。

大自然を前にしてココロが落ち着くのも理解でき、思わず全裸で無欲の猿になりたくなる..★,
LEONkei

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