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シェーンのFilmomoのレビュー・感想・評価

シェーン(1953年製作の映画)
4.9
①監督のジョージ・スティーブンスは凝りに凝って『シェーン』を演出したことが知られている。(そのために製作期間は予定を27日オーバーした)“CODE OF HONOR”という2003年に米国で発刊された著書の中で、『シェーン』のメイキングが、息子のスティーブンスJrの協力を得て記録されている。この本は3本の偉大な西部劇、ジョン・フォードの『捜索者』、フレッド・ジンネマンの『真昼の決闘』、そして『シェーン』のメイキングについて書かれているが、筆者はマイケル・F・ブレーク、40年以上にわたるメーキャップアーティストで、エミー賞も受賞している人。この本は今も米国のAmazonで購入できる。(正しい著書名はCode of Honor: The Making of Three Great American Westerns)『シェーン』の原作はジョンソン郡戦争に基づいて書かれたジャック・シェーファーの同名小説で、パラマウントがレイ・ミランドまたはアラン・ラッドを主演に想定して5万ドルで映画化権を購入した。ちなみにジャック・シェーファー作品は他にもロバート・ワイズがジェームズ・キャグニー主演で撮った『悪人への貢物』、リー・マーヴィンの哀愁西部劇『モンテ・ウォルシュ』などで映画化されている。スティーブンスはこの原作を読み、「アーサー王伝説のアメリカ版」として理解し、脚本を、ハワード・ホークスの『果てしなき蒼空』の原作者で大学教授でもあったA・B・ガスリーに依頼した。(ガスリーは映画の脚本を書いたことが無かったので、当時のハリウッドの脚本家が書く物とは全く異なるものが仕上がったらしい。それで最終的には撮影前にガスリーは降板し、ジャック・シャーが追加の台詞を書き加えた。従ってクレジットにも彼の名前がある)この本で、スティーブンスが事細かに台本に自分の考えを記録しつつ、深く掘り下げた映画作りがなされていく過程が書かれている。②この本でまず興味深いのは『シェーン』のキャスティングについての話。スティーブンスが小説を読んで頭に浮かんだキャスティングが面白い。シェーン:モンゴメリー・クリフト(但しもっと筋肉を鍛える必要があると書いていた)、ジョー・スターレット:ウィリアム・ホールデン、マリオン:キャサリン・ヘップバーン。勿論これらは実現せず、パラマウントの契約俳優のリストからアラン・ラッド、ヴァン・ヘフリン、ジーン・アーサーが選ばれた。(リストを見て数分のうちに決まったという。ちなみに撮影中、アラン・ラッドとジーン・アーサーはカメラのまわっていないところでは不仲だったらしい)それでも、モンゴメリー・クリフトが降板するまでアラン・ラッドは候補者のままだった。ロケ地探しは簡単に終わった。小説の舞台はワイオミングで、スティーブンスはジャクソン・ホール郊外でケリーという小さな町の近くの地域を選んだ。グランド・ティトン国立公園として現在は親しまれている場所で、ここを舞台にした映画は他にも『スペンサーの山』や『遥かなる地平線』といった作品から、最近では『ジャンゴ 繋がれざる者』まで、40作品にも上るという。タランティーノがここを選んだのは『シェーン』へのオマージュだと思いたい。(『ジャンゴ~』は未見)③『シェーン』はディテールを心行くまで何度も楽しめる作品。私が好きな場面の一つに、町へジョーの使いで買い物に行ったシェーンが、ジョーに揉め事に巻き込まれるなと言われたことを忠実に守るところがある。クリスにコケにされても手を出さずに帰ってくると、ジョーの家では昼間のライカー一味の嫌がらせに対する入植者たちの話し合いの最中である。ジョーイはマリオンと隣の部屋にいて、マリオンはジョーイに読み聞かせをしている。(だが、ジョーイは大人たちの話に聞き耳を立てていてマリオンの話は上の空である)シェーンが自分では話さないのでルイスが町で起きた事件――クリスにコケにされっぱなしだったこと――を皆に話す。ジョーイはシェーンの弱虫疑惑の話を耳にし「シェーンはそんな人じゃない」とマリオンに食ってかかり、大人たちの部屋ではルイスが「腰抜けを追い出したとクリスが吹聴している」と言うと、ジョーがここにいろと言うのを無視して「いない方が話しやすいだろう」と言い残してシェーンは雨の中を出ていく。ジョーイのいる部屋にカメラが戻ってマリオンに「シェーンはどこにも行かないよね」と言い、マリオンは「ええ、どこにも行かないわ」と言いながら窓を開け、雨の中にいるシェーンを呼ぶ。ジョーイが部屋の中からシェーンに向って「臆病者じゃないよね」と声をかけるとシェーンは「話せば長くなる」と言う。このシークエンスはシェーンの通過儀礼にあたり、ガンファイターとしてプライド高く、生きるか死ぬかの世界に生きてきたシェーンが、拳銃をジョーの家に残して丸腰で町へ行き、屈辱に耐え、さらに人々の蔑視やジョーイの言葉に言い訳をせずに堪えることで、一人の男が新しい人間に生まれ変わろうとしているのを巧く表現していると思う。男ならぐっとくるシーンだ。(だが、2度目に町へ行った時には大乱闘を繰り広げる、それもシーンのはじめからやる気満々の顔つきで。そしてその後はジョーと二人で。この2人はこの乱闘で普段のうっ憤を晴らし、生き生きとした表情になる。この大乱闘シーンも表情の付け方や細かな動きなど、スティーブンスの演出が冴えている。通過儀礼は成功したのか?いや、この映画の結末を見れば通過儀礼は失敗、シェーンはガンファイターに戻ってゆくということだ。)この後、マリオンのジョーイに投げかける有名なやり取り「シェーンを好きにならないで/いつかいなくなる人よ/好きになりすぎると別れがつらくなるわ」へと続く。この一連のシークエンスが後の大乱闘のシーンへの伏線となり、観客は溜飲を下げることができるのだ。(ちなみにCODE OF HONERにはもう一つ興味深い話が書かれている。実際にはカットされた場面だ。その一つは夜の会合のシーンの前に、ジョーイが友だちのネッドと釣りをする場面で、そこでネッドから何度もクリスの前でシェーンが手出ししなかった話をする。ネッドに対してジョーイは嘘つきだと言って二人が喧嘩する。もう一つはシェーンにジョーイがネッドの話を糺す場面。シェーンが説明する前にジョーイはいなくなってしまう。この2つのシーンは男たちの会合のシェーンの卑怯者疑惑について話しているのをジョーイがもれ聞く場面のインパクトを薄めるとしてカットされたが大正解だった。(だが、小説版には男たちの話にうんざりしたシェーンが酒場へ行き、そこでまたクリスと顔合わせし今度はぶちのめすという場面が書かれている。そして農場に戻り、「奴をぶちのめしてやった」と男たちに伝えて部屋を出るという流れだが、これはシナリオからカットしたことで映画的なインパクトが高められ、シェーンという人物の深みも出たように思える。小説に忠実に描かなかったことがこれほど大成功するとは!ちなみに酒場の乱闘シーンで、クリスとシェーンが殴り合いを始めると、後ろの方から「豚小屋に叩き込んでやれ、クリス!」という声が聞こえるが、これはカメラの後ろにいたスティーブンス監督の声だという。サイレント時代からの演出法をここでもやっていたというのだ。この大乱闘がターニングポイントとなって、ライカーはシャイアンに早馬を飛ばせてジャック・パランス扮する凄腕のガンファイター、ウィルソンを呼び寄せる。物語が進むにつれて、登場人物たちの変化も面白い。マリオンが女性に目覚めて綺麗な衣装を身にまとい始めたり、元南軍のトーリーが度重なる嫌がらせに対してついに元兵士としての義憤を募らせるようになったり、ジョーもシェーンに後のことを託してライカーと対決する腹をくくる様になったりと、細かな描写の積み重ねが続いていく。その一つ一つの掘り下げ方が巧みである。町山智浩さんも指摘しているが、シェーンの撃つ銃の銃声音が爆発音に近いのもリアルに銃の怖さを表現していて素晴らしい。一方で、前半に聞こえる嵐が近づく雷の音、トーリーとウィルソンの対決前の雷の音が弱く、これから始まる事件を暗示させるには、その効果を発揮していない(これは製作補のアイヴァン・モファットも試写後に指摘している)。そのトーリーとウィルソンの対決シーンがまた凝っている。ウィルソンは雑貨店入口の床通路に立ち、トーリーは床下のぬかるみに立っている時点で、この2人の精神的支配関係が表現されている。トーリーが撃たれる場面では、銃弾の衝撃で後ろに吹っ飛ばされるが、これはトーリー役のエリシャ・クックJrのチョッキの腰の部分にワイヤーが付けられていて、これを二人の道具係が引っ張り、彼は泥まみれのクッションの上に倒れるという方法で撮影された。この場面を良く見ると、トーリーの胸にも背中にも爆竹はつけられておらず、勿論血しぶきも飛ばないから銃弾が貫通したように見えないのに、見事に後ろに吹き飛ばされ、銃弾の威力を感じさせる、まさに50年代のムービーマジックだ。闘いの後ウィルソンがにやにやしながら歩くスパー(拍車)のチャリチャリという音もいい。この悪のヒーローの造形、黒づくめの服、酒は飲まない、無口で、殺しの前に黒い手袋を嵌め、殺しの後にニヤニヤし、チャリチャリ音を立ててゆっくりと歩く――出番は後半に集中しているが強烈な印象を残すウィルソンもまたスティーブンス演出の極地だ。シェーンのラストはスティーブンス監督が意図的に曖昧にしたことが知られている。いろいろな説を映画ファンがこれぞ本命とばかりに主張し合うのは楽しい。ちなみに私はこの『シェーン』の後に製作された『サスカチワンの狼火』で、シェーンは冒頭の台詞通り北に向い、カナダ警備隊員となって復活し、スー族との無益な争いを避けるために奮闘する・・・と思っている。(『サスカチワンの狼火』は『シェーン』の直後に公開された。そしてシェーンそっくりの衣裳で登場するのだ)最後に、リバイバル上映や衛星放送での放送のたびに、シェーンとジョーイの別れのシーン、つまりラストシーンのフィルムが暗すぎるというコメントが溢れることについて。これは『シェーン』のキーアートである、手前の小屋のそばにジョーイが立ち、その視線の向こうにシェーンが馬に乗って去りゆく場面を切り取ったアートワークが昼間の撮影であることに由来しているように思う。若い世代はこの絵を見て、ラストシーンは昼間に撮影されたものだと思い込むだろう。しかし実際は夜の場面であり、実際に映画を初めて見た人はギャップに違和感を抱いてしまう。かつて若い頃に観たオールドファンも、自分の記憶の中で美しい修正がなされ、このシーンはもっと明るかったはずだと言ってしまう。スティーブンス監督はリアルにこだわった演出をしたため、夜のシーンもリアルに暗くしたわけで、観客はそれこそ目を凝らして観る必要がある。(リマスター版でこのレストアを監修したのはジョージ・スティーブンスJrその人である、だからこれこそが本当の夜の暗さ)そして全編を通して凝らして繰り返し観れば、様々な発見があるというこれこそ稀にみる名作だ。一度観ただけで満足するのは勿体ない。