ずっと観たくてようやく観賞できたけど、しばらくしんどい気持ちを引きずってしまった、、
当時の世間の温度感はわからないけど、彼らと年齢が近いからこそ感じる無力感・焦り、無知さ故の不安と、だからこそ直感的に感じる確信の葛藤。
純粋に国や社会をよくしたい、という志のもとに起こった出来事ということがしんどい。
だからこそ、違和感を唱えることにハードルがあがってしまった。
みんな、社会の幸せを願っていたんだ。だけど、どこかで変な方向に行ってしまった。
「お前はなにもわかっとらん!」と森や永山が何か発言するたびに不快感が止まらなかったけど、それは私がスクリーンを隔てて対峙していたから。実際のあの場にいて、極限状態だったら同じような精神状態になっていたと思う。。。それは誰も責められない。
もしかすると、心の違和感を見つけたときにはすでに遅かったのかもしれない。
その気持ちがわかるらこそしんどい。
やっぱりひとつの考えだけとか、個を消した集団はよくない。
集団心理は価値判断を理念とか自分の外に委ねる。
共通した理念を持って個を消して効率化することで成し遂げられることもあるだろうが、それは長い歴史と時間という概念が存在する社会では必要ない。人間社会や文化に効率は必要ない。
個々がそれぞれの尺度で図ることを繰り返せば良い。だって、ひとりひとりの人生・生活、生きていることが全てだから。
西洋哲学のように一つの真理に近づくのではなく、東洋哲学のように解釈を広げる方が遠回りでも発展的な社会を築けるのではないだろうか。