ぷかしりまる

実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)のぷかしりまるのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

前半…学生運動の過激化(新聞記事や過去の映像を挟み、中立・解説気味に進行)
中盤…山岳ベースにおける惨い総括 
ラスト…あさま山荘立てこもり(中盤〜後半は完全にドラマ。赤軍側に偏った視点で進行)
こんな具合の三部構成で成り立っている。

序盤は自分がこれから入学する大学で、半世紀ほど前までゲバ棒と赤ヘルを持って叫んでいる学生たちがいたという紛れもない事実に愕然とした。1960年代特有の付け入る隙もない学生たちの焦燥感、切迫感はいまを生きる私たち若者には知りえないけれど、どうにかそれをなぞりたいという気持ちがずっとあった。革命の二文字が持つ甘美なイメージと大衆の力に流されて、自国で何が起こったかも知らないまま過去を美化するなんて、馬鹿のすることだから。だけど実際にそうやって便乗しては自己陶酔する、本質を見失っていた学生もいっぱい居たんじゃないかな。それと逮捕されて懲りた人たちも大勢居ただろう。(デモの度に毎回千人単位で捕まっていたんだから…すごい時代だ)大学を卒業した後も人生は続くから、同胞に白けた見方をするようになり、次第に縁を切る。こうして学生主体の革命運動は下火になっていった。

警察の目を逃れて山岳ベースに逃げるあたりからがこの映画の本領発揮。吐き気を催す邪悪な事実は新井英樹のザ・ワールド・イズ・マインに大きな影響を与えたに違いない。特に銃の略奪、爆弾開発、マリアの同級生訪問(あのシーン、無理だ…人道的にアウト。)その他諸々。
人間が人間としての心を失ってゆく描写が痛々しいほど克明に描かれている。総括の名の下に行われる集団リンチ。連合赤軍の主要メンバーは総括と自己批判により自己を共産化するという意味不明かつ無茶な大義名分を振りかざしては仲間を殺し、当然だって顔でケロっとしている。
森恒夫役の地曵豪(独裁者としての雰囲気を余すことなく放つ圧倒的存在)坂口弘役の井浦新(美しい顔立ちではあるが、今作では純粋なクズ。実力者として、その沈黙が力を表すような存在。森が逮捕された後の狼狽具合に人間味と弱さを感じる)永田洋子役の並木愛枝(一番凄みのある人。その演技をとくとご覧あれ。彼女に嫌悪感を抱かない人はいない。役者です…)の殺気には全身が粟立った。
「殴り気絶させることによって、新しい人間として生まれ変わり総括が可能になる」「(殴り続け半殺しにしながら)がんばれ!革命戦士に生まれ変わるんだ!」紛れもない事実であることがほんとうに胸糞悪くて、観念的総括に対して、あり得ねえ、クソ食らえって思った。自分で殺しといて、「こいつが死んだのは共産主義に敗北したからだ」なんて吐き捨てるか?
そして永田の遠山さんへの精神的追い込み、総括シーンが非常に堪えた。言葉悪いけど、醜女の美女へ対する劣等感、嫉妬がどんどんエスカレートしていく。私情を挟んだ個人的怨恨だ。「あんた、軍事訓練を何だと思ってるの?!山で化粧する必要あるの?服を着替える必要があるの?総括しなさいよ!」可愛い娘を自分で殴らせて、結果きれいな顔面はただの肉塊になり、その姿を鏡で見せつける。お手洗いに行くことも禁止して汚い女と罵り、お母さんと何度も呟く彼女を放置して死に至らせる。その時初めて他のメンバーは心に傷を負ったように見えた。誰にだって親族がいることは想像し得たはずなのに。そうだよな、このことがあったからラストで5人も意固地になったんだろうな。
だけど、そのことに対する想像力を完全に無下にすることがターニングポイントになって、書くことも憚られるその後の惨劇に繋がってゆく。
そういや永田が男女関係云々と他者を責めるわりにはこっそり浮気して森と寝てるなんて。何が内側からの共産化だよ。ずるくて、理想論の破綻を感じられる、どこまでも人間くさい重要な場面だった。

最後三十分を充てたあさま山荘立てこもりのシーン。意識改革を嫌でも迫られてひどく面食らったけれど、「勇気がなかったんだよ」あの言葉があってよかった。