ゆうちゃん

日本の夜と霧のゆうちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

日本の夜と霧(1960年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

60年にこの映画をつくりえた日本の映画界と大島渚に感動
50年代学生運動、60年安保の総括的な作品
これから運動はさらに激化していくわけだが…

1952
破防法反対ストライキ
血のメーデー事件

1960 6月15日
樺美智子が死亡した激烈な闘争の日

が一つの焦点になっている

運動内部での葛藤、人間の実存
結婚式で集まった過去のメンバーの討論、一人の人間、高尾の死を回想することにより、様々な事実が明るみに出る、組織の内的崩壊を描く

セリフ間違えを残した長回しの緊張感すごい

組織内では結局、経済力がものを言う
ショスタコヴィッチのイデオロギーを超えた素晴らしさを語れるほど余裕のある組織のリーダー中山、彼に美沙子を奪われた貧乏人の野沢は中山の偽善と自身の無力さに絶望感を抱く

野沢
「ずいぶん本を集めたもんだね」
中山
「下宿して勉強すると言ったら、親父が金をよこしたんだ」

野沢
「美沙子は中山の部屋で楽しそうだった。俺は美沙子に何も与えられない。汚い部屋、せんべえ布団、着たきり雀、闘争だけが、平和独立民主主義のための闘争だけが、俺たちの希望だったのに。社会主義リアリズム、踊ったり歌ったりして一体みんなどうしようと言うんだ?その間に、内灘、MSA、何もかも既成事実になっていく。俺はいったい革新陣営の一員なんだろうか。俺に何が残っているんだろうか。スパイ、革命、みんなどっかに消えた。平和の歌、大衆とともにか。俺には何にもないよ。風が出たな。吹け。なんでも吹くがいい」

美沙子はのち中山に対していう
「6月15日、私たちは流れ解散をして早くから家へ帰りテレビをみていた。学生たちは闘い、傷ついていった。流れ解散は間違えではなかったか。そう聞いた私に答えず、この人はただ私の体を求めただけ。他人の人格を認めようともしないこの人、こんな人が前衛と称し、指導者と称していたのよ。あの時から私は、前々から別れようと思っていた気持ちに踏ん切りをつけた。戸村さん、私、権力者の側に無駄にはいなかったわ!」

戸村
「ふん、君にも人格があったのか。そうだとすれば、高尾は死ななくて済んだのによ」


「我々に現在必要なことは、中山さんたちを撤退的に破壊し、新しい前衛をつくることではないですか?」
そういう太田が逮捕されてこの映画は幕を閉じる


また、北見という現在消息不明の人間も描かれるのだが、この人間は、登場人物の一人によって、こう称される
「北見はただ自分のなかの怒りをぶちまける場として、君たちのデモを選んでいるにすぎないんだ。トロツキズムも世界革命も彼とは無縁だよ」

この北見は、1960 6月19日の安保自然承認に反対するため国会前に怪我がまだ治っていない状態で向かおうとするのを玲子に止められる

「俺いくよ、やっぱり行かなくちゃいけないんだよ。俺のような気持ちで、安保はどうしても通しちゃいけないんだという気持ちで国会前に集まっている人が今日は多いんじゃないかな」

玲子が止めたのは、この闘いが敗北で終わるという諦めによる、故にインテリたちは北見をバカにする
一方、北見は、ただ座り込みをするだけの同級生たちのやる気のなさ、形骸さに嫌気がさし、ただデモ隊列のなかを彷徨い歩く


高尾が自殺したのはなぜか?この点について、高尾の魯迅解釈を通して討論されるとこがある
「彼は魯迅は、"我絶望す、故に我あり"、の作家だとした。
魯迅のなかにはある東洋的な虚無主義者の目があった。高尾はその点も無視できないとしたんだ」
「そんなことはブルジョワ作家に任せておけ。
魯迅は革命的な作家なんだ」