恭介

グラディエーターの恭介のレビュー・感想・評価

グラディエーター(2000年製作の映画)
4.2
メジャー作品を観返す第3弾。

初期にエイリアンとブレードランナーという傑作を放ったものの、それ以降、イマイチ波に乗れずに低迷していたリドリー・スコット監督の復活作としても重要な作品。

歴史物は金がかかる。ハリウッドの黄金時代にはよく製作されていた歴史物だが、豪華な衣装やセット、またエキストラの大量雇用など、とにかく金がかかる。
エリザベス・テイラー主演のクレオパトラなんか、途方も無い製作費で大コケし映画会社が傾いた、といまだに語り草になっている。ま、エリザベスのワガママが主な原因だけど(笑)

なので80年代あたりから、逆に歴史物と水物には手を出すなという風潮が広がり、なかなかお目見えしなかったジャンルに敢えて挑戦した本作。

これは明らかにCGの恩恵が大きく作用しているのは間違いない。
バカでかいセットを作ったり、大量のエキストラを雇わなくてもいいとなれば、かなりコストは下がる。

そんなCGの恩恵を上手く利用したヒーロー歴史スペクタクル、という体裁を取っているが、本質は2人の男の愛と悲哀に満ちたドラマだ。

光があるから闇がある。闇があるから光が引き立つ。この相反するように見えて、表裏一体の関係性が、マキシマスとコモドゥスというキャラクターに魅了される要因となっている。

かたや誰からも崇拝され、寡黙ながらも人を惹きつける魅力に溢れた男。
かたや誰からも疎まれ、長舌であり権力と恐怖で人を拘束する男。

この2人の決定的な違いは、人を愛し、人に愛されているかどうか。
または、愛し方を知っているかどうか?

しかし、コモドゥスも産まれながらに悪人ではない。彼の父である皇帝アウレリウスが彼に違った愛情を注いでいれば、マキシマスのようになっていたかもしれない。

歪んだ愛情や無情は相手の愛をも歪ませてしまう。その結果、マキシマスにとって最大の悲劇を招き、光と闇がぶつかる。

だから最後の2人の決闘には爽快感や高揚感はない。悲しい戦いなのだ。
誰かがどこかでコモドゥスに愛情を注いでいれば・・

マキシマスは最愛の妻子を殺された時点で、彼も死んだも同然だった。
偶然か必然か、グラディエーターとなった彼に復讐する機会が訪れる。

しかし、マキシマスは生き残る事などハナから考えていない。コモドゥスを倒したら天国にいる妻子に会いに行きたい。それしか考えていないのだ。

物語はマキシマスの死、という悲劇で終わる。しかしマキシマスにとって、それは悲劇ではない。なすべき事をやり遂げ、愛する妻子が待つ家に帰れる。彼にとってはある意味ハッピーエンドなのだ。
それは息絶えた彼の穏やかな表情からも読み取れる。

愛されない故に悲劇を引き起こすコモドゥス。愛された故に悲劇に巻き込まれたマキシマス。

そんな悲哀溢れるドラマとスペクタクルを絶妙にブレンドし、傑作に昇華させたリドリー監督も素晴らしい。

アカデミーの作品賞と主演男優賞を取ったのに、何故、監督賞と助演男優賞はないんだ?バカヤローっ(笑)


しかし、このコモドゥスという役。キャラクターのベースはジョーカーに似ている。
親からの愛情もなく、誰からも愛されず、歪んで歪みきったあげく狂気と悲哀に満ちた存在となったジョーカー。

コモドゥスを見事に演じきったホアキンがジョーカーを演じたのは必然だったのかもしれない。
恭介

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