拘泥

ディフェンドー 闇の仕事人の拘泥のレビュー・感想・評価

2.7
わっかし近い方向と言えるジェームズ・ガンのスーパー!がかなり好きなのだがこっちは正直に言って期待はずれの感が否めない。
一番は主人公の若干の知恵遅れの設定が微妙だったのかなと思う。
彼は「ある理由」によって”暗黒街の総帥”を追って自警行為を行うのだが、知恵遅れの設定か、いやむしろ単に狂人でないが故か、とにかく「ある理由」が例えばバットマンのように彼をそこまで駆り立てた原体験、ある種のトラウマして現れるのではなく、直接の理由となっている。
そうしてその設定は、彼の自分の正義を振りかざすことの重みへの理解も怪しいものにしてしまう。(まあ現実世界でもそれを分かっていない人々の多さったらないが。)
すると彼の異常な正義?は、どう考えても信念には見えない。その意味を知り、それでもそれを選び取る覚悟を持つ者の真の狂気的正義というより、単なる純真無垢の、何も知らないが故の個人的渇き、いわば子供のワガママでしかないように見える。実際の制裁も本当は個人的な動機で、それが単に悪人が敵であるからヒーローっぽく見えるだけなのだ。「だってあいつが悪いやつなんだもん」と正当化を入れる様は子供のソレにしか見えない。だから心は何だか痛いんだが特に考えさせられることもないのだ。
スーパー!のように振り切れた人間の見せるイカレ具合の面白さとそれでも腐った世界に中指を突き立てるワガママのかっこよさに比べるとその様はただただ憐れでしかない。信念のない正義など全くカッコよくもなんともない。
これては法を超えて本当の正義とやらを執行するらしい彼をヒーローだなんて言えるわけない。結果的にそうなっただけじゃんかよと思ってしまう。
だから、知恵遅れの彼でも正義を貫いたのだから市民は皆できるはずだとかいうのは全くの真逆に映る。
仮に個人的復讐心と公な正義感の曖昧さも分からない子供の憐れさと、その内実を深く考えようともしないでセンセーショナルな出来事を一過的に消費する大衆を描きたくてやってるならそれはそれでそれを描くのにここまで分かりづらくめんどいマネを演出もなくしてるとしたら作者はちょっと皮肉振り切れすぎてヤバい人だと思うから流石に無いだろう。

というわけで作者は子供のような無知故の純粋な心、あの頃の正義感を持とう、そうすれば君は力などなくとも、コスチュームなどしなくともヒーローだと、そう言う人なのだろう。しかし非常に似ていても非常に遠い意味を伝えるかの名作ウォッチメンの遥かに強く深い感銘には遠く遠く及ばない。とりあえず仮面ライダークウガ見て出直して来いや。

「さっきから五代さんの言ってること、綺麗事ばっかりやんか!」
「そうだよ、でもだからこそ現実にしたいじゃない。本当は綺麗事がいいんだもん。コレ(👊)でしかやり取りできないなんて、悲し過ぎるから。」(仮面ライダークウガ:EP41「抑制」より)
の精神を100回見て来いや。
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