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札束無情のニューランドのレビュー・感想・評価

札束無情(1950年製作の映画)
3.2

☑️『札束無情』及び『ボディ·ガード』▶️▶️
勿論、フライシャーの初期作名など知る手立てもないが、直前にチラシを読んで観るかを決める。本作は、キューブリックの出世作に近いとあったので、精密·精巧なものを予想したが計画·決行の煙幕活用までは、サイズ切替·角度対応·仰俯瞰多用·カメラワークと人動き絡み、と確かにそうだが、やたら相互に射ち(殺し)仕留め·バタバタ勘と経験で逃げ追いまくる中盤以降は、スタイリッシュというより鍛え抜かれたアルチザンの鋼の強さ表出タッチとなり(メインの警部補がいちばんワルそうでタフ、主犯の情婦は三原葉子みたいだ)、血痕·メモ書き住所·隠しマイクの効力·着陸機との衝突のスパイスが効く。この撮影監督も今回他作でも見掛けるが、一級だ。
頭のきれる大強盗連発犯が、(脱獄中もいる)旧知(繋がり)3人のどんくさい仲間を使い、球場に集まる現金輸送車を国外脱出まで分刻みの計画で襲うを、たまたま気まぐれで遭遇し相棒を失った、古参刑事が弔合戦よろしく、敵の情婦も使い、時間もズレにズラし包囲を狭め追い詰めてく緊迫作。観る側としては、緻密で破綻感も素晴らしいが、どこか息苦しいキューブリックより、痛快で淀みない手応えが嬉しい気もする。映画の格調·非情さも充分。
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次いでのフライシャーの初期作は『ボディ~』。こちらは『札束~』のリアル非情さのハードでスタイリッシュな作りとは対照的で、公私の(出発点では共に警察殺人課勤務の)男女パートナー(勝手に犯行現場に忍びこんでの女の目撃やピンチのリアクションショットの多さ)が、反りの合わない同僚と彼の密かに係わってた精肉会社の不正横領隠しの罠にはめられ、利用されるを、あくまで明るくいきいきと打ち破ってく話で、話のどんでん返し等無縁(ワルは当初イメージ通り引き続き中身までワル)、簡潔で無駄などなく、ホラ話的な味もあり、重々しさ·リアリティ等二の次の作。
出だしはいくつか部屋を出入りしても、一方向からのパンと少しのフォロー移動だけで1平面ごとく済まし、ここから煩わしさなしで気持ちがいい。僅かにの角度変から、対立者の90°変しての正対リヴァースにやっとなる。その際極限までカメラに互いに乗り出す大CUともなり、後のシーンではそれに不規則ヘンテコズーム(ズーム自体は’40頃から日本ではマキノらがごく稀に使ってるが、一般化するのは’60年代以降~’70年代前半には濫用~で、この時代はまだ稀。)がくっついて史上観たことのないアップも躊躇わす断行。コマ落としめ速い動きの格闘移行もこの世界では当たり前に。大小の鏡面使っての意外性もまた、当たり前枠で、偽名で肝心処通し·眼科のカルテ探し抜いての、事件光明くらいが、展開の手応えで、冤罪逃亡中も暗さなし。富豪の邸内を除けば、セットも簡易が多。車乗り換え、足がつきそうもハラハラよりスイスイ。ヘンテコなプロ野球捉えや、観戦中の変な誘いのサイズ切替えも、描写は逆にしっかと。小品も、全く引けめ負い目など感じさせぬ、痛快という言葉さえいなす、銘品とはコレ。
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