塚本

突撃の塚本のレビュー・感想・評価

突撃(1957年製作の映画)
4.0
「1915年、パリに侵攻せんとするドイツ軍とフランス軍との間では激しい塹壕戦が繰り広げられ、膠着状態に陥っていた。」というナレーションで映画ははじまる。後のキューブリックからすればかなり違和感のあるオープニングである。

…キューブリックの作品の最大の魅力のひとつは「謎」の提示にある。あるいはそれを難解もしくは曖昧性と言ってもいいかも知れない。キューブリックの映画は映画という形式を露骨に操作してイデオロギーを打ち出すものではない。彼の映画は「真の思想、力ある思想というのは非常に多くの側面を持っているものであり、真っ正面から攻撃を加えても無駄である。思想は観客が自分で発見するものだ。自分で発見したことのかいかんがその思想をいっそう力強いものにするのだ。」という彼の信念をそのまま体現している。
難解という言葉の裏には必ず答えがある、キューブリックが言いたいことは映画にすべて映っているとは限らない。我々はその原作を読んだり、監督自身が語っていることを参考にして、作者が言わんとすることを追究していけばいいのだ。
そして、そこからはじき出された「答え」に対して、初めて我々は形而上的な自分なりの解釈をすることが許される。

…最初にナレーションが入るというキューブリックの親切さはラストまで続く。
ストーリー展開は役者の言動のやりとりで運び、わかりやすいものになっている。そういう意味では、あらかじめ設定されたテーマ・思想に沿ってバイアスが掛けられている。

フランス軍の軍団長ブルラール将軍は師団長のミロー将軍に、ドイツ軍の難攻不落の陣地、俗称“アリ塚”を48時間以内に陥落するよう命令を下す。昇進をほのめかされたミロー将軍は、命令を受諾する
。さっそく連隊長のダックス大佐(カーク・ダグラス)を呼び出し、突撃を命じるのであった。しかし、当作戦は明らかには無謀であり、いたずらに死者を量産するだけだとダックス大佐は抗議するもしかしミロー将軍は聞く耳を持たない。結果、“アリ塚”への攻撃は、ダックス大佐の奮闘むなしく、多くの犠牲者を出して敗戦。当然の如く、作戦の責任問題が勃発することとなる。ところが、あろうことかミロー将軍は、敗退の原因を兵士の敵前逃亡とし、各中隊から1名ずつ計3名の兵士を見せしめとして軍法会議にかけ、銃殺する旨を決定。元弁護士であるダックス大佐は怒りに震え、上層部を敵に回して、3人の弁護に立つことを決意する。
軍法会議判事は事務的に裁判を進めた。ダックスは民間では弁護士だったが、この裁判の判決は最初から決まっているのだ。弁明の機会も充分に与えられず、証人も認められない。
最後にダックスは力説した。「昨日の攻撃は、フランスの恥ではない。兵士の不名誉でもない。だが、この軍事法廷こそ汚点であり、恥だ。正義を笑いものにした茶番だ。この兵士たちを有罪とする者は犯罪者であり、その罪は死ぬまでつきまとう・・・被告に慈悲を・・・」

判決は予想通り有罪、銃殺刑と決まった。

翌朝。3人は広場に出された。両側に兵が立ち並ぶ中を歩いていく。ミロー将軍、ブルラール将軍の姿もある。ダックスも3人を見つめている。
数十人の銃殺隊が並び号令が発せられた。銃殺刑は瞬時に終わった。


…「将軍の仕事をやらんか」、ブルラール将軍がダックスに言った。ダックスは即座に断った。
「昇進を逃がすとは・・・」
「昇進をエサにするんですか!」 「大佐!謝らんと逮捕するぞ!」
ダックスは開き直った。「あなたは堕落しきったサド老人だ!何が謝れだ、地獄に落ちろ!」

ダックスが兵舎に戻ろうとすると酒場からざわめきが聞こえてきた。酒場では部屋を埋め尽くした兵隊たちが今しも始まる捕虜のユダヤ女のショーを見ているのだった。
ユダヤ女が頼りなく歌い始める。やがて歌声に聞き入っていた兵士たちは一人二人と共に歌い始めた。涙が頬を伝う。酒場全体の合唱になっていった。
ダックスは外で聞いていた。伝令の兵士がやって来る。「前線に復帰せよとのことです。」 ダックスはそれを制した。「もう少し待ってやれ」

…どうだろう、とても分かり易いストーリーだ。テーマが余りにも明白に過ぎる。
戦場という現場を舞台にしているのではなく、組織の持つ不条理な成り立ちを描くことで、反戦を謳っている。
そして、それは戦争という特殊なシチュエーションを越えて、政治、経済という社会を動かす機能にも当てはまる普遍的なものでもある。
キューブリックは叙情性豊かに、この物語を閉じる。ここにキューブリックの本来持ち得るヒューマニズムを垣間見ることができるのだ。

ただ、後に観られる数々の映像スタイルの萌芽を見ることもできる。

3人の受刑者が、歩く中庭の両端に整然と居並ぶ兵士たちが、醸し出す強固な圧力をイメージさせる不気味なシンメトリー。
迷路のような塹壕を這うようにカメラが、パンしていくシークエンスはシャイニングの雪の迷路を想起させる。
キューブリックはこの後、カークダグラスの推薦で「スパルタカス」を撮るが、職人監督を余儀無くされたキューブリックは、その後ハリウッドシステムから離れ、イギリスに居を構え自身のプロダクションで映画作りをすることになる。
塚本

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