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女ガンマン・皆殺しのメロディのmasayaanのレビュー・感想・評価

3.5
前から西部劇コーナーの隅っこに置いてあったけれども、なぜかTSUTAYAさんの発掘良品コーナーにピックアップされ、改めて広く流通することになった作品。心情的には星4つの佳作です!

ともすればタランティーノの『ビルを殺せ』の主たるネタ元として面白半分で評価されているかに思える、紛れもなく「B級西部劇」であるこの映画が、それでもなお映画たり得ているのは、3人の無法者に夫を殺され、自らも凌辱された女(ラクエル・ウェルチ)が、自らの心理を決して言葉では語らないお陰である。

もしくは、このように説明してもいい。夫を殺された女が涙を流すシーンは(僕の記憶では)収められていないわけだが、それがはたして、「流した設定だがショットとして採用されていない」のか、「もともと流してない設定」なのかが語られず、また、「流してない設定」なのであれば、その理由が「悲しみよりもショックが大きすぎるため」なのか、「アイラインやマスカラが取れてしまうから」なのか、などの背景がまったく語られない、そこが良いのだと。

あるいは、こうも説明できるだろう。彼女は復讐の理由を語らない。「復讐は正しいことなのか?」という、「良識的な(=退屈な)名作」にありがちな迷いがまったく語られないのだ。それは、言うまでもなく、彼女がそうした疑問を持っていないということではない。あくまでもそれが「語られない」ことだけがここでは重要である。もしくは、こういう観方もできるだろう。この映画においては、「自らの心理を言葉で説明してしまったものは死を免れない」のだと。

したがって、ベタだなんだと誰にどれほど笑われても構わないが、マジックアワーの浜辺のシーンがけっこう泣けた。それは、沈黙だけが許されたかに見えるこの映画において、まさに一言の言葉もなしに、優しいオレンジの逆光を浴びた男と女の黒い影が平行移動で映され、後ろを歩く女の手の影が(少しのためらいののちに)男の方へと伸びていき、男を振り返らせたラクエル・ウェルチが浮かべていたであろう、作中でもっとも美しかった筈の表情がまったく映されないからだ。

また、そこで彼女が手を伸ばした理由がまったく語られず、夫の死をもってもその涙を画面に映すことのなかった女が、この男の死に際には無防備な涙を見せている理由もまったく語られない。そして女は、沈黙だけが許されたこの映画の最後にふさわしく、言葉を発するための生命を奪われた男と、劇中でもっとも寡黙な謎の男を引き連れ、言葉もなく荒野を横切っていくのであった。
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