KnightsofOdessa

日記のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

日記(1982年製作の映画)
3.5
[メーサーロシュ・マールタの壮絶な少女時代] 70点

1984年カンヌ映画祭コンペ部門選出作品。メーサーロシュ・マールタ長編13作目。"日記"四部作の第一篇。『マリとユリ』や『Just Like at Home』といった作品で主要キャラを演じていたツィンコーツィ・ジュジャを自らの分身として迎え、これまでの作品に登場した役者を様々な役で呼び戻している。史実における彼女の幼少期は以下の通り。1931年にハンガリーで生まれるが、1936年に共産主義者だった両親が追放されキルギスで過ごすことになる。スターリン以前の共産主義を支持したため、彫刻家だった父親ラースローは1938年に逮捕され(1945年に死亡)、母親も出産が原因で亡くなってしまい、ソ連にいたハンガリー人共産主義者の元で養育される。一度はハンガリーに戻ったものの、1946年には全ソ連国立映画大学(VGIK)で学ぶためにソ連に渡り、1956年に卒業する。この間、卒業制作などでハンガリーとソ連を往復していたようだ。さて、本作品は1947年にユリがソ連から場面から幕を開ける。彼女を呼び戻したのは、戦前からの共産主義者で、今では党の重要ポストに就いている大叔母マグダだった。家族全員が何らかの形で共産党員だったわけだが、1919年の革命に参加した祖父は今の共産党を嫌っていて、ラーコシ体制下で権力を付け始めた妹マグダを心配している。彼らの家は"裕福"で、貴族を含めた富裕層から接収した食器や衣類などを懐に収めているらしく、祖父はそういった生活を享受している自分を嫌悪している。

ユリは勉強嫌いで、学校を頻繁にサボっては映画を観ている。それを知った狂信者マグダは怒り狂い、どうにかして矯正しようと試みる。そこに登場するのがマグダの長年の同志であり、逮捕脱走後はフランスにいたヤーノシュという人物だ。物腰柔らかで現状を憂う旧世代の共産主義者である彼に、幼い頃に亡くなった父親の面影を重ね合わせる(ちなみに、演じているのは当時のパートナーであり長年の協力者でもあったヤン・ノヴィツキ)。旧世代の共産主義者には両親も含まれており、マグダは彼らが死んでしまったことをいいことに間接的に忘れさせようとしてくるわけだが、その対立に祖父やヤーノシュが参加することで、ギリギリのバランスを取っていたのだ。しかしそれも、ソ連時代の粛清を思い起こさせるような内ゲバによって失われていく。それにしても、ビンカ・ジェリャズコヴァとは違った意味での共産主義への幻滅がかなり強い筆至で描かれているのには驚かされる。
養子縁組もせず、"ソ連から呼び寄せた私が面倒を見る"の一点張りで母親面するマグダへの反抗として、ユリは孤児院行きを望むのだが、これに対するヤーノシュの返しが興味深い。孤児院は戦争孤児たちで溢れ返っている、居場所のない人々のスペースを奪うわけにはいかない、育つのはどこでもできる、最終的に自分の足で立っていることが重要だ、と。ここへ来てクズ男ばかり演じてきたヤン・ノヴィツキが、擬似的な父親として(しかも現代的な考えを持つ)描かれているのだ。ここからは憶測の域だが、寧ろこちらの方がノヴィツキ本人に近いんじゃないかと思うなど。

ユリと映画の出会いは、ソ連時代に母親と二人でよく観に行ったことらしい。映画に触れることは、彼女にとって亡くなった両親に触れることなのだ。怯えるユリに対して母親は"映画だから彼らは死なない、別の作品で他の誰を演じ続けている"という言葉を残す。これは正しく同じ俳優を起用し続けるメーサーロシュ・シネマ・ユニバース(MCU)の根幹にある言葉なのではないか?

追記
ルチアン・ピンティリエ『The Oak』はセクリターテの娘が不条理に満ちたルーマニアを旅する物語だが、ユリの出自もそれに近いものがある。党幹部の息子の誕生日パーティに行くシーンなんか同じようなシーンが同作にも描かれていた。
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