むぅ

山椒大夫のむぅのレビュー・感想・評価

山椒大夫(1954年製作の映画)
4.1
「何妙法"レンギョウ"!」

『安寿と厨子王丸』
そのアニメを幼い頃両親と観た。
お2人が両脇でむせび泣くので、娘としてはリアクションに困る。
しかも私の前にあるティッシュをどちらから先に渡すべきか悩むところとなり、集中力が切れる。
『小公子セディ』でも『小公女セーラ』でも同様の経験をした。
以降、私の中では"親子ノ物語、親ト観ルベカラズ"である。

『安寿と厨子王丸』を観た翌日、父と散歩をしていた。
「安寿と厨子王に比べていかにお前の幸せなことか」といった話の流れから、私が買って欲しがっている犬のぬいぐるみを諦めさせようとする父の意図を娘は敏感に察知していた。
その時、ふと、あんずの木を指差して父が言った。
「あんず(安寿)と厨子王丸」
おう、これは応戦せねばと思った娘はレンギョウの花を指して答えた。
「何妙法レンギョウ(蓮華経)」
「うまい!!」
そう、彼は親バカである。
レンギョウの花のおかげで、座布団の代わりに犬のぬいぐるみを手中に収めた。


安寿と厨子王の物語を元にした森鴎外の小説『山椒大夫』

私は溝口監督が映し出す"水"の描写がとても好きだなと思う。
『雨月物語』でも『残菊物語』でもそこが印象に残っている。
今作含め、溝口作品で"水"が登場するシーンは悲しかったり残酷であったりという事が多い。
儚さや虚しさは"水"と相性が良いという感覚が溝口監督にあるのであれば、その肌感覚は私も同じかもしれない。
"水"と言われたら最初に連想するのは、私は"雨"その次が"涙"だ。
そう考えて、黒澤明の『七人の侍』の激しい雨の中の決戦のシーンを思い出す。
そこには怒りや生きる力が投影されていたように思う。
『シェイプ・オブ・ウォーター』の窓をつたう雫も印象的だった。
その時に、水も孤独も愛も形がないと思ったことも思い出す。
そう思うと今まで観てきた映画の中で、"水"は私に鮮明な印象を数々残しているのだな、と気付く。面白い。


「酒じゃなくて?」
"水"から連想するものの話をしていたら、案の定そう言われた。
「?」
「いや"寝耳に水"な顔すんな」
「お!お上手!」
盛り上がっていたら、後ろから声がした。
「盛り上がってるとこ、"水差す"ようで悪いんスけど」
「お!お見事!」
私から水を向けた話題であったのに完敗であった。

洒落てみたり韻を踏んでみたりのセンスはレンギョウで出し尽くしたのかもしれない。
でも、良い。
「厨子王にすれば?」
という父からの提案を却下し、ペックと名付けたぬいぐるみはまだ私の部屋にいる。
抱っこしたり一緒に寝たりはしないが、目が合うと優しい気持ちになる。

そんな思い出を持てなかった安寿と厨子王の事を考える。
むぅ

むぅ