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山椒大夫のRのレビュー・感想・評価

山椒大夫(1954年製作の映画)
4.9
ひ、ひどい…ひどすぎる…こんなひどい話がありますか。前半あまりにも心が痛んで、うわー、うわー、と声&ため息を何度も漏らしてしまった。水墨画のように幽玄な、美しい映像の数々のなかで、こんなに残酷なお話が展開することを誰が想像できましょう。その残酷さの頂点に立つのがタイトルの山椒大夫。時代は平安末期。本作で重要な役割を持つ仏教においては、末法という時代に入ってすぐの頃。末法とは、簡単に言うと、世の中が最悪な状態になる時代のこと。まさに本作は末法の地獄絵図と言える。陸奥の国士であった平正氏は、将軍の命令に反して貧窮する百姓を手厚く扱ったとこで免官となり、筑紫に左遷されることになる。妻・玉木は息子の厨子王と娘の安寿と召使いひとりを連れて、夫に合流するため、筑紫に向かう旅に出る。正氏は常日頃、厨子王に、人は慈悲の心を失っては、人ではない。己を責めても、人には情けをかけよ。と教えていた。父の様子を思い出しながら旅する彼らだったが、親切な振りした邪悪な巫女に騙されて、人買いに捕らえられ、玉木は佐渡の遊郭へ、厨子王と安寿は山椒大夫に売り払われてしまう。山椒大夫は大荘園の持ち主で、夥しい数の奴隷に想像を絶する重労働を強い、リッチな生活をしてる冷血ハゲオヤジで、逃亡しようとする者は老若男女問わず額に焼きごてを当てる。若い女や老人が絶叫しながら罰を受けてるシーンや、恐らくは末期ガンで病身のおばさんが死ぬまで働かされ、動けなくなると山中に捨てられるシーンなど、見てるのが苦痛なほどつらい。彼らの苦しみの切実さを更に増すのが、彼らが一心不乱に神仏にすがり、祈る姿。祈りとは人間における最も人間的な行為であると、ある本で読んだことがあるが、この映画を見ると、ホントそうだな、と思った。最悪の状態で死にゆく仲間に、次はいいところに生まれてくるんだよー!と必死に声をかけるシーンや、樹木の枝葉の間から見える衝撃の入水に震えながら手を合わせるシーンはものすごく心に突き刺さる。人びとの祈りのイメージの強烈さは、本作の持つ最も強力なエモーションと言って過言でない。山椒大夫の長期にわたる絶対的支配のために、厨子王と安寿の生き方が変化していく様子もとても興味深い。どれほど時間が経っても、何があっても、命を棄ててでも、絶対的な信念を曲げないのは、女の素直さと負けない気持ちのあらわれなんだろうなー、と思わされる。その説得力がある。で、命からがら大夫の拘束から逃れる厨子王のその後の展開は、それまでの痛烈な地獄のリアリズム演出とは打って変わって、ビックリするほどザックリな省略によって、ポンポン話が進んでいく。どこか心ざわめく奴隷たちの大騒ぎシーンや、厨子王くん…それでは大した解決にならないのでは…と思わせる短絡的決断のその果てに、どこまでも美しく、はかなく、心を引き裂く悲しみを静かに湛えた、まるで伝説から切り取られたワンシーンのようなラストショットに至る。何度見ても涙ボロボロこぼれてしまう。こんなにも厳しい運命の流転と、あまりにも悲愴な一縷の喜びに、涙がボロボロこぼれ、嗚咽がもれる。ボクが最も愛する日本人監督ミゾグチの圧倒的な美意識に貫かれた絶世の大傑作だと思います。すごいです。
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