SatoshiFujiwara

ラ・パロマのSatoshiFujiwaraのレビュー・感想・評価

ラ・パロマ(1974年製作の映画)
4.8
へルヴェティカ・スイス映画祭にて。

相当久方ぶりの再見、ヤバイ作品との記憶はあったが、今観たら記憶していたのよりさらにヤバかった。冒頭の静穏な夕暮れの湖畔を捉えたショットに被さる神経を逆撫でするかのような微かな電子音響が次第にクレッシェンドしてくるところから既に尋常ではないが(思えばダニエル・シュミットのデビュー作である『今宵かぎりは…』でも城の遠景にイカれた音響がオーバーラップしてきて度肝を抜かれたのだった)、あの薄暗い高級キャバレーにたむろする客の思わせぶりな視線の交差あるいは不交差、及びそれらをひたすら舐め回すように旋回するカメラで捉えたシーンの淫靡さ。おまけにこれら客が何を喋っているのか全く聞こえない。なんたる空虚さ。大体出て来る人間がみんな死人みたいだ。

出し抜けに楽屋に押しかけるイジドールの求愛を当初疎ましがっていた歌姫ヴィオラが次の瞬間になんの予感と予兆もなくいきなりOKを出し(レナート・ベルタによる被写界深度の見事な調整!)、その後のひたすら書き割のように表層を捉えるこの2人の保養所巡り&愛の逃避行。あと2週間の命と医師に宣告されたヴィオラが嘘のようにこれで全快し、いきなり山景をバックにコルンゴルトの『死の都』から「マリエッタの歌」が何の脈絡もなくこの2人によって延々と歌われるに及び観客は呆けた笑いを浮かべながら画面に観入るしかない。

こんな具合に登場するシーンのいちいちがキッチュで堪らないが、死んだヴィオラの柩を開け放つと3年前に死んだはずの彼女が全く変わらない姿で横臥し、あまつさえカッと目を見開いているじゃないの。そこにインサートされる妙に軽快、脳天気でコミカルな音楽を聴くに及び完全脱力&腰砕けになるだろう。

全編これ表層性とキッチュさに満ち溢れる。ネクロフィリアへの嗜好性。優雅な退廃。見事な無内容さ。メロドラマによるメロドラマのパロディ。それでいて「愛は偉大だ」と言う陳腐に聞こえかねない真実を確かに首肯させられるという。

※昔は気付かなかったが監修に種村季弘のクレジットが。贋作や怪しいものを愛したこの碩学、やはりダニエル・シュミットか。
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