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神曲のooospemのレビュー・感想・評価

神曲(1991年製作の映画)
5.0
悲愴と名の付くベートーヴェンのソナタ第一音から幕を開ける。ジャーン。舞台は伝説の聖人になりきってしまった者が集まる精神病院。ラスコリーニコフ、アダムとイヴ、キリスト、預言者、ニーチェ等になりきり演技するともなく演技し、議論し、聖と俗のもっともタブーな境界線をぐちゃぐちゃにしていく。そう、まさにタブー。文学や芸術に没頭するということは、同時に神に対する思想及び信仰心を自ら見つめ返すということだと思う。この行為は極めて危険だ。生死に関わる重大問題。それだけに、この住人達のように徹底的にのめり込むともなれば常に死との隣合わせを覚悟するべきだし、いやもはや観念しているのかもしれない。

この精神病院の院長はイワン・カラマゾフにペシミスト(=悲愴主義者)と呼ばれる。無宗教者とも。ここに居るのか居ないのか、どっち付かずの中途半端な立場はここでは排除されるけれど、もっとも現代的な中立の立場なのだとも言える。この院長の宙吊り自殺は、現代において、思想や崇拝心にとらわれてしまうと生き延びてはいけないということを示唆しているのだろうか。

そして…大好きなピアニストを予期せずスクリーンで拝見することになったこと。マリア・ジョアン・ピリスが弾くシューベルトの即興曲が一等に好きなのだけど、スクリーンで弾いていたシューベルトでない曲も本当に素晴らしかった。彼女がピアノを弾く姿はまるで翼が生えていくようで、伸びやかで、自由で、涙が出た。あくまでピリスはピリス役。芸術とは人間行為の何たるやを位置付ける議論のテーマの象徴として、オリヴェイラが放り込んだ人物かもしれない。

とかく侵食を許さない完全な精神世界。この類のテーマに苦悩したことがある人種なら、よくもこの理想と苦悩を映像にしてくれた、再現してくれたと打ち震えるはず。
手記にキーワードの覚書があった。《孤独に生きる者と聖霊とともに生きる者》、《ニーチェの(救済がないことに対して)恐ろしいという言葉》。すばらしいことに真実は存在しない。

そしてこの作品がドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟を読み始めるきっかけになり今に至ります。一生物の精神的財産との出会いの思い出が詰まった大切な作品。
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