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神曲のnetfilmsのレビュー・感想・評価

神曲(1991年製作の映画)
3.7
 物語は、ある精神病院という空間に限定される。「精神を病んだ人々の家」という名の精神病院には様々な人物が入院している。冒頭、おそらくアダムとイブらしき全裸のカップルが庭内におり、それを院長や患者が全員見守っている明らかに異常な光景からスタートする。イブはアダムに黄色い林檎を食べさせ、アダムがイブを誘惑するが、大雨のため室内へと強制的に戻される。長机に全員が陣取り、食べる光景はさながら「最後の審判」のようである。前作『ノン、あるいは支配の虚しい栄光』のルイス・ミゲル・シントラが先導し、ここでもある種の宗教についてのディスカッションが始まる。預言者と呼ばれるルシントラと哲学者とされる男とは常に意見がことごとく食い違い、対立する。この2人の対立を軸に、幾つかの伏線が描かれていく。アダムとイブ。イブは聖なる蛇を見たことで、自分が聖テレサなのだと思い込む。そしてアダムの求愛を拒否し、部屋にこもるのだが、哲学者に誘惑され、窓から飛び降りる。

 老婆とその姪を殺した罪の意識に苛まれるラスコリーニコフと、純粋な少女であるが娼婦に身を落としたソニアとの心理的葛藤も見逃せない。ラスコリーニコフらしき男は夜な夜な悪夢に苛まれ、またこの悪夢を現実化した映像がひたすら怖いのだが、悪夢という名の正夢を見た男は、少女ソニアに懺悔しようとする。カラマーゾフ兄弟の兄貴であるイヴァンが、精神病院に入院する一番下の弟アリョーシャに面会に来たところで物語は動く。ここで唯一、ほんの一瞬の出来事であるが院外の風景が描かれる。院長同席の元、自作の「大審問官」を弟に読み聞かせる兄の姿がやがて他の患者たちにも伝播し、男女問わず全員が口づけを交わし合う。いがみ合う預言者と哲学者さえも口づけを交わす。今作もクライマックスであっと驚く人物の突然の死が用意されており、入れ替わるように室内に紛れ込んだ白い鳩への解釈の違いが映画の本質へと向かう。多くの患者たちはあれは聖霊に違いないと言うが、リアリストな哲学者にはただの白い鳩にしか見えない。宗教と戦争、エロスとアガペー、生と死を巡り繰り広げられるオリヴェイラ自身の強固な哲学感がここには宿る。
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