YasujiOshiba

蠍座の星の下でのYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

蠍座の星の下で(1969年製作の映画)
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備忘のために

○この作品からタヴィアーニ兄弟の作品はカラーに。ヴィットリオは40歳、パオロは38歳。

○時代は遠い昔。ヴェルギリウスの英雄アエネーイスの時代、あるいはローマ建国神話のロムルスとレムスの兄弟や、そのロムルスによる「サビニの女たちの略奪」を彷彿とさせる。

○原題のは Sotto il segno dello scorpione (蠍座に生まれて)の意だが、これは当時映画化を構想中だった『アロンサンファン』の第1校のタイトルだったという。

○話の筋はこんな感じ。火山の噴火で島を逃げ出した男たちが(スコルピオイデ gli scorpioidi と呼ばれるが日本語では「サソリ人」といったところ)、とある島に漂着するのだが、その島もまた火山だった。逃げ出そうとする男たちだが、彼らを見守る女たちの姿。島の先住民だ。

実はこの火山の島には村があり、20年前の噴火で被災したものの、今ではすっかり立て直し、平和に暮らしていた。しかし外からやってきた男たちは安心できない。火山はいつ噴火するかわからないからだ。そこで、村人たちを説得して、船を出してもらおうとする。噴火によってどんな怖い目にあったか、次第に大げさに、嘘まで交えて語り始めるのだが、興奮した彼らの言葉は村人に届かない。

男たちは、ただ言葉で説得することをやめる。その代わりに、夜になると、背中にいくつものカウベル(牛につける小さな鐘)をいくつもつけ、村を踊りながらねり歩くようになる。その不気味で迫力のある踊りは、おそらくサルディニア島に古くから伝わる「マムトーネス」から着想されたのだろう。この踊りによって、村の人々は少しずつ同様してゆき、ついには村の長レンノ(ジャン・マリア・ヴォロンテ)が、よそ者の男たちを用水の穴に閉じ込めてしまう。

しかし、このヴォロンテの演じる村長レンノは、最初こそ威厳があり落ち着いて見えるのだが、村人の動揺に自分も影響されて、優柔不断になってゆく。そして、一度は閉じ込めた男たちを殺すことに決めるのだが、決心を翻し、解放してやり、船を与えて島を出てゆかせることにする。

しかし、解放された男たちは、船に向かう途中、島の女たちに目が眩む。船に乗せて連れ去ろうとして、島の男たちと激しい諍いになり、ついには村の長も含めて、男たちを皆殺しにすると、女たちを連れ去ってしまう。着いたのは「島 l'isola」ではなく「大陸 il continente」。その少しひらけた場所に村を建てようとするところで映画は終わる。

○この映画の公開は1969年。イタリアでも学生や労働者たちの激しい反体制運動「68年」という時代の空気のなかで撮られた映画。じつに同時代的な作品。まさに時代の政治的なパラブル(例え話、寓話)と考えることができるだろう。

しかし、この映画がすばらしいのは、そこではない。そういう政治的な状況を写しながら、それを表現するために選択した映画のスタイルそのものがすばらしいのだ。

一人一人のダイアローグはシンプルなのだが、ときに大勢の人物が一斉にがなりたてたり、男女のカップルが言葉を交わし続けたりするところを、じつにうまくカットしたり、音量を下げたりして、なにか人間の言葉を遠くから見つめているかのような編集がほどこされている。だから、ぼくらは個人の会話を聞いているようでありながら、次第に次第に、なにか集団のざわめきゃうめき、そして悲鳴のようなものまで聞いてしまうように感じるのだ。

そう悲鳴が聞こえるのだが、それは人間の声ではなく、音楽による悲鳴だ。兄弟ともに音楽的な素養のあるタヴィアーニならではな音楽の使い方が、じつにじつに映画的なのである。

そして、そのすべてに明瞭なリズムを与えながら、あのエーゼンシュタインの叙事詩的なモンタージュを彷彿とさせる編集は、この作品からロベルト・ペルピンニャーニが担当することになる。彼は、オーソン・ウエルズの『審判』や、ベルトルッチの『革命前夜』、それからベロッキオの『中国は近い』などの編集マン。そのペルピンニャーニが、これ以降、タヴィアーニ映画のタヴィアーニらしいリズムを担当することになるわけだ。あの、突然にプツンと切れるのだけど、次のシーンが現れた瞬間に、ぼくらの頭のなかで物語がコトンと前にすすんでゆく、あのリズムだ。

○ヴォロンテはすばらしいけど、島にやってきた男たちのリーダー格ルートロを演じたジュリオ・ブロージも実に良い。彼はベルトルッチの『暗殺のオペラ』にも出てるけど、タヴィアーニなら『危険分子たち』のベネズエラ人もよかったし、次に見る予定の作品にも登場するから楽しみだ。それから、今や大御所になったアレッサンドロ・ハーバルやレナート・スカルパなんかの若い姿が見られたのはうれしかったな。

でも、忘れられないのはやはり、ルチア・ボゼー!彼女は村長レンノ(ヴォロンテ)の妻グライア役なんだけど、「あの若者たちからすれば、おまえなんてオバサンだぜ(vecchietta)」なんてセリフを向けられちゃうんだよね。たしかにボゼーにはかつてのディーヴァの輝きはないけど、それでも十分に美しいし、なによりも気品があるんだよね。拍手。

○それにしてもこの映画、日本では劇場未公開、テレビ放映されただけだという。たしかに、公開当時のイタリアでも賛否両論だったというが、時間がたつにつれて評価があがり、今ではもはや古典的な名作といってもよい。

ぜひとも日本語字幕をつけていただいて、劇場じゃなくていいから、配信かブルーレイか、せめてDVDで、見られるようにしてもらいたいものです。
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