ぺむぺる

ドラえもん のび太の大魔境のぺむぺるのレビュー・感想・評価

3.0
ドラ映画第3作。アフリカの奥地にある秘境を目指すという豪胆な設定と、ジャイアンの心的成長を描く繊細さが魅力の本作は、ひみつ道具の制限というトリッキーな趣向に加えて、未知の文明による世界征服の危機という大掛かりな展開が、ドラ映画を一大スペクタクルに押し上げた快作である。前作「のび太の宇宙開拓史」からのこの飛躍ぶりはエグい。シリーズとしては初めて際立った伏線回収が行われる作品でもあり、映画としての満足度もかなり高いものになっている。

本作の〈冒険感〉を強めているのは、“アフリカ”や“ジャングル”、“古代遺跡”といった背景の道具立てのみならず、クライマックスに至るまでそこかしこに散見される「いや〜な雰囲気」である。冒頭、雨のそぼふる中ペコが登場するシーンからして不穏だが、危機につぐ危機の中でついには頼みの綱のどこでもドアがワニに喰われてしまうシーンに至っては、絶望の度合いが半端ない。さらに、いつもは豪快なジャイアンがナーバスになってしまうことによる鬱々とした雰囲気。後のドラ映画ほど洗練されてはいないものの、こうした不快感によって生み出される〈非日常〉の空気が、本作を“いつものドラえもん”とは決定的に異なるものにしている。

前述のとおり、本作には「ジャイアンの成長譚」としての側面が色濃くあるのだが、それは「映画版ジャイアンはいいやつ説」を無駄に強化するものではない。むしろ、そこに至るまでの挫折、葛藤、再起を丁寧に描くことで「基本は乱暴者だが、いざとなると情に厚い」性格を確立させ、以降のキャラ設定への露払いを徹底的に行っている。つまり、本作のジャイアンがあるからこそ、その後のドラ映画のジャイアンは問答無用で「いいやつ」になれるのだ。

そのため、本作の前半におけるジャイアンの横暴ぶりは、“いつものドラえもん”と地続きであるばかりか、それ以上に甚大である。そんなジャイアンのせいで巻き起こる騒動が皆を生命の危険にさらし、彼を孤独の淵に追い込む。それを癒すのが、同じ孤独を抱えるペコであるという展開がうまい。しかも、このときペコはまだ「ただの犬」と思われたので、一人ベッドで涙するジャイアンに寄り添う姿がものすごくさりげなく映る。しかし、このさりげなさが後の展開に効いてくるのだ。


【以下ネタバレあり】


この後ペコは、人類とは別の進化をたどった文明人(犬)であり、王位を追われた王子であることがわかる。現王の暴力的な企みを潰えさせるため、皆で協力し立ち向かうわけだが、それが結果的に絶体絶命のピンチを作り出してしまう。そのときペコは責任を取るべくひとり投降し皆を逃そうとするが、ここでやっとジャイアンは自分自身を見つけ出す。すなわち、ペコの姿に自身を重ね、危険な冒険のイニシアチブをとった責任を果たそうと真っ先にペコの後を追うのである。

古今東西数多くの映画があれど、ここで流れる劇中歌ほどシーンにマッチし、エモーショナルな雰囲気を立ち上らせることに成功した歌はそうそうないだろう。

「だからぼくは弱虫なんだ 泣いてるきみに何もできない」
「だって僕の力なんか 全部出してもこれだけなんだ」

「乱暴者のガキ大将」として怖られるジャイアンではあるが、それはせいぜい身内の中での強さである。母ちゃんはもとより、中学生や隣町のガキ大将にも敵わず、ましてや分不相応の冒険の中ではほとんど無力な存在だ。そんな自分の無力さを悟ったからこそ発揮できる勇気がある。のび太やしずかちゃん、スネ夫にも言えることだが、彼らはどこにでもいる「普通の子どもたち」なのだ。ドラえもんとそのひみつ道具で、ほんのちょっと不思議な体験ができるだけの「普通の子ども」。そんな彼らが振り絞る勇気に涙しない人間はいないだろう。

「そうだきみも探してくれないか 心の中の少しの勇気を」
「だって僕ときみのをあわせたら 勇気が少し大きくなったろう」
ぺむぺる

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