dm10forever

CASSHERNのdm10foreverのレビュー・感想・評価

CASSHERN(2004年製作の映画)
3.5
【主張】

確かこれって結構叩かれてた記憶があります。
「面白くない」
「きれいな映像を見せたいだけ」
「桐里谷監督の独りよがり」等々

飲み会の席なんかでこの作品を褒めようとすると、結構な勢いで否定してくる人がいる。
もちろん、映画の面白さなんて人それぞれの「ものさし」で変わるし、もっと言えば同じ人間が同じ作品を見たって、観た時の感情や環境によって見え方がガラリと変わる事だってある。だから僕は特に映画の感想については他人の意見を一切否定しないし、自分の意見を押し付けることもしたくない。

「じゃあ、逆にdmさんはこの映画のどこがおもしろかったんすか?」

(逆に)?
その時点で既にそいつは(俺の見方とdmさんの見方はまるっきり違うっしょ)っていう決めつけから話を吹っかけてくる。
そういう奴とは話しが合わないので適当に話を逸らす。
だって「否定」しかできない奴と映画の話をしてもつまらないし、何も得るものもない。
そういう奴に限って「~ってネットに書いてありましたよ」という情弱ぶりを露呈するし・・・。

個人的な結論から言うと「言われるほど酷いとは思っていない」

ストーリーがピンと来ないのは、たぶん自分自身がリアルタイムでオリジナルを見ていないというのもあったのかもしれないけど、裏を返せばオリジナルとは「全く別物」になっていたとしても、根本的に「起承転結」ではないけど、なぞるべき流れっていうのはある程度あるべきで、それは人物描写であったり世界観であったり。それらの物語のバックボーンとなるべき部分を、全て「映像(だけ)」で表現しようとしたのではないのか?という気がした。
それは、ある意味ではとても攻めた発想だし嫌いではない。
何しろ映像自体は「カッコいい」のだ。
ただ、これを「映画」というジャンルにはめこもうとすると、やっぱり足りない。
「物足りない」というレベルではなく「足りない」のだ。

そもそも原作(オリジナル)に思い入れがない自分は「どこがどうおかしい」という根本を持っていないので、物語の展開にはあまり特別な矛盾などは感じてはいない。
でも一つの物語の「構成」として伝えたいことの大半を映像のインパクトで伝えようとしたため、どうしても独りよがりな作品になってしまったことは否めないと思う。

もしかしたら、これを「映画」というジャンルで世に放ってしまった時点で、ある程度の評価は決っていたのかもしれないし、もっと言えばそうなることすら十分想定した上で、あえて「映画」といって出してきたのかな・・という。

「生まれたばかりの不完全なヒーロー」という脆さや、超人級の力を手にした男の宿命、共に「新造細胞」という技術から生まれた善と悪。

テーマとしては「ダークヒーローもの」に持っていくにしても十分魅力的なポテンシャルはあるんだけど、それなのに単にこの作品の「続編」というものがどうしても頭の中に浮かばない。
むしろお話し的には「これから」という要素も残されているにもかかわらず。

それこそ、その場に提示されたイメージクリップを見せられてしまったという感じが、脳裏のどこかをちらつくのだ。

僕は基本的に「どんな駄作でも一つくらいはいいところはあるさ」というスタンスで鑑賞する方なので、皆さんが酷評するような泥映画でも意外と「及第点」をつけることはありますし、万が一何も褒めるところがなくても「これを世に放った製作側の熱意に敬意を払って」なんてコメントを書いてみたりもする(笑)。

ただね、それは「映画」として自分が評価した場合。
個人的に「好き」か「嫌い」かで言えば、この作品は好きな方だと思う。
それこそザック・スナイダーの「エンジェル・ウォーズ」や「300」で感じたような『斬新な映像表現』に近い感覚かもしれない。

ただ、何故かこの作品に関しては「映画」という感じがしない。
何故だろう?一応ストーリーだってあるし、三橋達也とか大滝秀治とか、味のある役者さんも出ていたし・・・要潤なんて切れ味よくてカッコよかったよ。


何だろう、映像から受ける「自己主張」が強すぎて、僕の感性が入り込む余地が見えなかったからなんだろうか?
それは「完成度が高いから」というよりも「どう?これ。凄いっしょ?」っていう感じで見せられてしまったので、僕自身の感性が途中でストップしちゃったような感じかもしれない・・・。最後まで物語に「奥行き」が感じられなかった。
そして、そこが僕の大好きなザック・スナイダーとの差でもある。


嫌いじゃないのに評価しきれない・・・不思議な作品。
dm10forever

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