ケンヤム

勝手にしやがれ!! 強奪計画のケンヤムのレビュー・感想・評価

4.8
純粋な映画というのは、純粋な行為と同義でそれなら純粋な行為とはなんだという話になるのだろうが、純粋な行為とは自身が何故それをするのか知らない運動であり、第三者から見てもその人が何故それをするのかわからない運動である。
映画は純粋な行為が、そのままアクションとして提示されてさえすれば良いのだ。
物語の辻褄や、登場人物の心理などはどうでもいい。
この映画で「何故それをするのか知らない」ということが画面に提示される瞬間は、ダンボールがひしゃげたり、空き缶やトランプやポップコーンがが宙に舞う瞬間だ。
カメラが横移動で捉える彼らの走る姿だ。
その鮮烈な印象は、辻褄の合わない物語やはちゃめちゃな登場人物の間抜けさの全てを映画にしてしまう。
それなら俺は、俺は映画であることができるのか。
映画であり続けること、純粋な行為の主体者であり続けること。
何故俺はそれをするのか知らないということを突き詰めたとき、人生は映画になるのだと思う。
コメディの介在する純粋な人生は、これから起こるなにもかもを肯定するだろう。
ケンヤム

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