同じハネケによる「コード・アンノウン」の逆を行く、数々の「断片」から成る集積としての映画である。
数々の「断片」たる場面=ドラマがより集められ、結果、ひとつの事件として結実する。一見すると、ハネケにしてはややユーモアがあり、途中までは省略が多いとはいえ、細部まで描かれていて、ドラマは明確に伝わる。
しかし、我々は一時間半もの間、画面を観て、彼らの日常を細かく追ったはずだが、いくつかの核心たるエピソードやその詳細は、実は結局、解らずじまいになっている。第三者の視点から物事を完全に理解することなど出来ない、ということだ。
だが、テレビに映し出されるニュースは、さも全てを理解したかのように、簡略化された情報を垂れ流し続けているのだ。むごたらしい虐殺も、緊迫した国際情勢も、内戦後の街並みも、不法移民の少年の話も、マイケル・ジャクソンの疑惑も。