71フラグメンツの作品情報・感想・評価

「71フラグメンツ」に投稿された感想・評価

踊る猫

踊る猫の感想・評価

3.8
挑戦的な作品だ。なんなら挑発的と言っても良いのだろう。一応は大学生が銀行強盗を行い自殺する事件が描かれているのだが、そこに難民や義理の家族、冷え切った関係の夫婦や親子の話が絡み合い、しかしそうした明らかに本筋とは無関係な「断片(フラグメンツ)」を語る意図はあからさまにされない。いや、そもそもミヒャエル・ハネケは銀行強盗の話すら表現したくないのではないか。たまたまこれは観た私が頭の中で偶発的に繋がるパズルのピースの産物であって、人に依っては別のピースの産物が頭の中で繋がるのだろう。ハネケ節とも言える長回しもまた見事で、難解ではあるのだけれど(観終えたあと苦行を強いられた気分なのだけれど)、スジ自体よりショットひとつひとつの鮮烈さが頭の中に残留し続ける。なんの感情も喚起させない、音楽で言えばオウテカの作品のようなものか。
ハネケ作品の無駄に装飾されてなくてわざとらしさのない描写がなんかいい。好み
りたお

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3.7
珍しくっていうか初めてハネケ作品で感情移入できる人がいて、ラスト、めっちゃわかるよぉぉぉて抱きしめてあげたかった。
相変わらず分からないところは本当にわからなくて、でも飽きずに観れたのは作品自体に力があるのか、私がハネケ作品だって意識して観てたからなのかはもうわからない。
卓球マシーンで練習する人や老人の電話シーンの「え、うそでしょまだ流すの?」な感じ。これが欲しくて観た。
不法難民の浮浪児に哀願の目を向けられても大抵のひとは目を背ける。
だけどハネケは目を背けることができない。と言うより目を背けてしまったことを悔やみ続けて忘れられない人なんだろうと思う。そう思ったところでこの映画は見る人によっては優しい映画なのかもしれないと感じ始めた。
生きていくということは大なり小なり罪を増やし続けることだったりする。だけども暗く冷たい厭世観が充満している中、妻が自分の頬を叩いた夫の手を握った一瞬に少しだけ熱が上がった。
yukko

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2.4
ハネケらしさ。
ある一つの「行為」の帰結は見通せず、ゆえに「意図せざる結果」を生む。
ミヒャエルハネケ初期三部作の三作目。(スンマセン間違って二作目と書いてしまいました。。)

一作目の「セブンスコンチネント」と内容やテーマはほぼ一緒。

一作目は1988年辺りのドイツが背景だったのに対して、今回は1990年のドイツが舞台。
どちらも"実際にあったと思われるニュースの一片"から脚色していった内容で、
一作目と同じく挟み込まれる各セクション毎のブラックアウトやテンポ感が向上。
その分、分かりやすくなりつつも、構図やヘビーさは薄くなった印象。
しかも登場人物が若干多くて、物語の最初に"答え"を見せられてる関係で、その布石がどう繋がっていくかの過程が楽しみで見続けなきゃいけない感覚になりつつも、老人の長電話のシーン辺り、1時間経過する辺りぐらいから似たようなテンポ感にダレちゃったのがマイナス。

頭が悪いから知らんけど、当時のドイツは第二次大戦から這い上がるのにここまで色んな事があったのか、と思ったり。
忙しさや国家的問題の中で記憶から消え去っていくような"動機の分からない事件"を鋭く掴んで映画にして記録する辺りは流石としか言えない。

そして、ここまで引っ張った割に最後はやっぱり"見せない美学"のハネケw


オチが秀逸すぎて笑ったww
堊

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4.2
DVD付属インタビュー内で監督のハネケ自身が饒舌に(核心までも度がすぎるほど)語るように「構造の秘密とは長さ」なのである。71 Fragments of a Chronology of chance と原題で題されている通り、71の欠片であって大筋となるストーリーラインは存在しており最終的に個々の話がオーストリア銀行の大量虐殺というカタストロフへ収束していく様子は本作の多くの評でこれまで指摘されてきた通りガスヴァンサントの『エレファント』やアルトマンの諸作品を思い起こさせる。正直なところFragments と題されるからには『コヤニスカッツィ』のようなバキバキの編集でめぐるしく変わる場面による幻惑的作用を期待していたので冒頭のアンビエントな雰囲気を持つロマの少年の脱出を描く長回しには肩すかしをくらった。しかしこれが不思議な心地よさを生み、何ら説明もなく話が展開することもないまま、優雅に夜景を捉えたまま10分が経過したころには黒味を多用したfragmentsによる冗長でありながら過度に説明的でない本作の編集リズムに釘付けになっていた。
fragmentsから成立する全体を考えるほど漠然としていき、個々のカットの検証からは離れていく。なので一番印象に残ったものを一つここで挙げる。難民のロマの少年が駅構内をさまようシーン。駅でホームの端をひとり歩く少年。ホームの端を歩いていることを駅の放送で咎められるのだが、少年は言葉が通じないためわからない。鳴り響くアナウンス。向かいのホームにいた現地の男の子がロマの少年を指さして笑う。それに気づきはにかむ少年。対岸の男の子も手を広げてロマの少年の真似をして振り子のようにしてホームの端を歩く。あまりにギリギリを歩くのでヒヤヒヤする。気が付くと画面内には死の香りが横溢する。ここでカメラは二人を同一の画面に入れるためにホームに入る電車の主観ショットのような正面の位置に移動する。二人は手を広げて互いにホームの端ギリギリに立ち、振り子のようにして歩いている。ロマの少年は手首をわずかに曲げている。幽霊、いや天使のように見えなくもない。少年は立ち止まりホームに垂直に向き合うと向かいの少年へ微笑み、そして数歩下がってゆっくりと走り出す。ホーム内へと飛び込んでしまう寸前、電車が到着する。暗転。次の場面へ。
こうした不穏な場面は何度も我々の前にあらわれては消えていく。終盤のテロの惨劇の被害に遭った死体から流れる血を延々映し続けるショットに代表されるようなある種のハネケ監督によるいやらしさに辟易したものの、全体を覆うコミュニケーション不全の主題とそれを巡る観客への饒舌で丁寧すぎるほどの演出は成功している気がする。
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