明石です

アメリカン・クライムの明石ですのレビュー・感想・評価

アメリカン・クライム(2007年製作の映画)
3.7
1960年代に起きた少女の虐待殺人事件を、関係者の証言をもとに忠実に再現した映画。母親が実の子供たちに指示を出し、他所から預かった子供を虐待ののち殺害したというショッキングな実話。人に勧めることはできないけど、見れて良かったと思える作品でした。

同じ事件を題材にした歴史的駄作『隣の家の少女』と比べると、こちらは非常によく出来ている印象。まず主犯となった母親の言動が歪んでいく過程(少なくともその兆候)や、周りの子たちが主人公を嫌っていく過程が多少なりとも描かれてるから、登場人物たちの異常な行動にも理解が及んだ。やっぱり感情移入できるのは大事。子だくさんの中DV夫にお金をせびり取られ経済的に困窮しストレスを抱えるという、主犯女の葛藤らしきものが描かれてる。かつては普通の人間だったところを垣間見せてくれるから、それが虐待殺人にまで至るという人間の恐ろしさをより実感できた。

本作は関係者の証言があいだあいだに挟まり、それを支柱に物語が語られる形式。『隣の家の少女』と比べると、脚本がしっかり練り込まれてる印象。やっぱり映画は細部が肝心なのだなと改めて思った(『隣の家の少女』は胸糞シーンを見せるのに必死で他が全然ダメでした。具体的にどこが気になったのかは、あちらのレビューに詳しく書いてます)。登場人物の性格やら心情の変化やら、そういう細かい部分が丁寧に描かれるほど、胸糞シーンで心動かされる。シーン単体で見せてもダメだということがよく分かりました。

子供にとって大人は神様のような存在(自分が幼い頃からそう思ってたからよくわかります)。たとえやっちゃいけないことだと良心が警告していても、親に命令されれば逆らうことはできない。まあ劇中には、元から良心が備わっていなさそうな子供も何人か出てきたので、”Like mother, like son”「この母にしてこの子あり」な話とも言えそうですが。。

「なぜあんなことをしたのか?」と法廷で問われた子供たちが、皆口を揃えて「わかりません」と答えるシーンに、この映画の恐ろしさが込められていると思った。本作の加害者は、そのほとんどが他者から影響を受けやすい幼い子供。つい集団心理に流されてしまうのは無理もないのかもしれない。「ここで同じことをやらなきゃ見下される」とか、あるいは「自分が同じ目にあうかもしれない」と怯えてしまうのでしょう。

でも結局、この映画で行われていることの元凶は、大部分が(というか全てが)母親にある気がする。終盤に法廷で「全部子どもたちが勝手にやったこと。私は何も知らなかった」と証言するあたり、情け容赦のない鬼畜っぷり。それを聞いて泣く子供たちについ同情しちゃった。血の繋がった子供には愛のあるように見せかけて、実は子供にすら愛のなかった女。まあ何はともあれ、倫理観の欠けた人間が若くして親になり子を持つと、恐ろしいことになるという教訓ですかね。

そしてラストは予想を上回る衝撃の鬱エンディング。事件についてはWikipedia等で調べ事前知識を得ていたので、ある程度の鬱ラストは覚悟していましたが、まさかあんな終わり方とは。。幻想を織り交ぜることで期待を持たせる展開が余計に陰鬱。事件を忠実に再現しつつも、見せ方によって視聴者をドン底に叩き落とすスタイル。。個人的には嫌いではない部類のラストですが、これはさすがに救いがなさすぎますね。

「涙が出ないのは感情がないからと言われていたけど、それは違ったわ。水も貰えないでいたから、涙が出なくなってたの」ラストの少女の台詞ですが、ここ何年かに見た映画の中で最も衝撃を受けた言葉です。

思えば『隣の家の少女』とは違って、本作は安易な恋愛要素やドギツイ拷問シーンに手を出さず(ついでに言うと、ポルノ風ジャケで観客を釣らず)、作品の陰鬱な雰囲気や登場人物の台詞によって淡々と恐ろしさを伝えてくれるから、良作になり得たのだと思う。ただ女の子を嬲るシーンの臨場感や痛々しさは『隣の家の少女』の方が断然上。まあそこしか見せ場がない映画と比べるのは、ちょっと酷かもしれませんが。。

それにしても、主人公のエレン・ペイジがすこぶるイノセントな容姿で(撮影時、彼女は既に20歳を超えていたはずですが、劇中ではティーン前半の女の子にしか見えない)、あと内面も聖女みたいに清らかだから、より一層胸糞を感じちゃった。若い頃のエレンペイジの他の出演作も見てみよう。そこで癒されよう。

——好きな台詞——
「メリーゴーランドは上がったり下がったりしながら同じ場所をぐるぐる回るだけ。どこにも行けないけど、それが安心できるの」
明石です

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