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ポランスキーの 欲望の館のsleepyのレビュー・感想・評価

ポランスキーの 欲望の館(1972年製作の映画)
3.9
ポランスキーのリハビリ ****

ポランスキーの艶笑劇・・と思いきや、なんだか少し怖かった、というのが率直な感想。あちこちで失敗作の烙印を押されたように書かれているけれど、なんとなく目が離せない映画。不条理劇と言えばそうなのだけれど、一言で片づけることがなんとなく憚られる。アメリカ人旅行者(ローム)が伊の海岸(ロケはアマルフィ)の一軒の富豪の別荘みたいなところに逃げ込むところから、時計の針が行ったり来たりする。何度も時刻・時間・針についての会話がでてきたり(モスキートと呼ばれる怪しい男はポランスキー本人が演じる)、似たような出来事が繰り返される。「月」が何度も映る(夜のシーンの青さが美しい)。ポランスキー版「不思議の国のアリス」と言えば分かり易いかも知れない。アリスのような主人公はポランスキーなのか。「なぜ追ってる?」「彼女が逃げたから」。これは監督のポーランド時代の強迫観念かテート事件の残滓か。

が、それだけでは抜け落ちるものがありそうな。「不思議なことが連続して起きる」「前にもあったような感じよ」「デジャヴか?」「とも違うの」「この瞬間を前にも経験したような気がするんだろ」「でもけして気のせいじゃない」「同じではない。同じ川で二度泳ぐことはない。川も人間も移り変わるから」。これは単に時間についての哲学問答ではなく、テート事件の悪夢から真に離れらないポランスキーの自己説得みたいなものではないか。繰り返す悪夢の堂々巡りから逃れようとするような。始終、昼は蝉が、宵からは虫の音が鳴りっぱなしでなんか不快を誘う。

以下、本作に筋はないけれど一応未見の方は★まで飛ばしてください。
「待て」「無理よ」「なぜ」「終りがないから」「何だって?」「映画と同じよ」「映画のタイトルは?」「「何?」がタイトルよ」(この映画の原題:CHE? 英語ではWHAT?と同じ)。主人公は脱出するが、この屋敷では未来永劫同じ毎日が繰り返されるのだろう。主(グリフィス)が死んだ今、屋敷の時間の呪縛は解かれたのだろうか。住人たちの慌て振りをみる限り、どうも彼ら彼女らは主人公や監督と違い、過去に隠れたままでいたいらしい。★

本作は喜劇と言われるが笑えない。つまり喜劇ではないのだろう。最後半3分ほどになり、急になんとなく恐い感じをもった。本作はポランスキーのリハビリではないのか(もちろんシャロン・テート事件の)。結局本作は物語や教訓を放棄した監督自身の治癒のために作られた映画ではないか。少なくともエロでも喜劇ではないと思われる。そこは異常性癖者が集う奇妙な館だった、なんていう尼やメーカーやいくつかのサイトの文は観客を誤認させる。

「筋」なんか無くても映画は作れる。映画にオチも起承転結もテーマも別に要らない。いかに観客の中に残るのか。本作は様々なシーン(ピアノ連弾、ラスト、月など)や役者たちや時間が繰り返す牢獄に閉じ込められたような漠とした不安の「感覚」が、そして監督のちょっと前向きなふっ切れたような突き抜け具合がちゃんと観た後に残る。しかし本当のところは分からない。だから面白くない、とは言えない不思議な映画だ。同監督の「袋小路」「ローズマリーの赤ちゃん」に似たショットがある。そしてどこか当時の政治の比喩も感じられるのは読み過ぎか。これ、とは言いにくいけれど。
監督は狂気?の中で異形の傑作「マクベス」を撮った後、本作を撮り、次に米でこれまた名作の「チャイナタウン」を撮る。

音楽はモーツァルトなど、ほぼ既存曲だろうか。始終優雅な管弦楽が流れる。

★オリジナルデータ:
原題:Che?(英題:What?)1972, 伊=仏=西独, オリジナルアスペクト比(もちろん劇場公開比を指す)2.35:1(Todd-AO 35),114min(邦盤VHSは約20分これより短かった。95分は間違い).Color (Technicolor), ネガ、ポジともに35 mm

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