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若者のすべてのkojikojiのレビュー・感想・評価

若者のすべて(1960年製作の映画)
3.8
1960年 イタリア🇮🇹/フランス🇫🇷映画
1960年はローマオリンピックの年。
戦後、貧困に苦しんだイタリアは、日本より早くオリンピックができるぐらい経済が回復していたが、ヴィスコンティはあえて北と南の格差があることをこの映画で世に問うた。


今年はヨーロッパの映画を観ようと決めている。そうなるとイタリアの巨匠が山のように聳える。

フェデリコ・フェリーニ、ミケランジェロ・アントニオーニ、そしてヴィスコンティだ。

ヴィスコンティを観ようと思ったのは決してとっつきやすいと思ったわけではない。その証拠にこの「若者のすべて」は、これまで何回途中下車したかわからないぐらい。今回やっと観ることができた。やっぱり持久力がかなりついて来たという証だろう。

この映画の原題は「ロッコとその兄弟」。パートが5つに分かれ、兄弟の名前がパートの題名になる。

未亡人のロザリア・パロンディとその4人の息子たち(シモーネ、ロッコ、チーロ、ルーカ)が、イタリア南部のルカニア地方から、経済成長の主要都市北部のミラノへやって来る。そこには長男ヴィンチェンツォがいて、今日は恋人ジネッタとの婚約祝いのパーティの最中だったのだ。
息子たちとそこに乗り込んだロザリアはジネッタの母親と大喧嘩をして出ていき、近くの家で暮らすようになる。初っ端からの二人のおっかさんの喧嘩は、びっくりする。イタリア人のイメージそんまんまのやりとりだ。

ヴィンチェンツォについてジムに行った次男シモーネは才能を認められ、ボクサーとして活躍するようになる。しかし練習に身が入らず、娼婦のナディアと遊び暮らして堕落した生活を送るようになる。ボクシングシーンがかなり出てくるが、昔の映画にしては結構上手く撮れている。違和感がなければいいのだ。

三男ロッコはクリーニング店で働いていたが、店をクビになり、徴兵のために街を去る。
その後、長男ヴィンチェンツォはジネッタと結婚して独立、四男チーロは苦学の末、学校を卒業してアルファロメオの技師となる。

1年2ヵ月後、ロッコは出所したばかりのナディアと街で偶然に出会い、2人は恋に落ちる。退役したロッコはボクシングジムのマネージャーであるチェッリに才能を認められ、スカウトされる。
ロッコとナディアは真面目な生活を送るようになっていたが、堕落の一途を辿るシモーネは激しく嫉妬し、仲間を連れて2人を襲い、ロッコの見ている前でナディアを強姦する。

ロッコとシモーネは激しく殴り合うが、ロッコはシモーネのためにナディアから身を引くことを決め、ボクサーとして活躍するようになる。

この物語、この後の展開を含めて、なぜかドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を思い出させる。長男ではないが、次男シモーネの破滅はドミトリーを、優しさの化身のようなロッコは三男アリョーシャを思いださせる。

直前に「太陽がいっぱい」で人気者になったアランドロンは「トム」のイメージが強く、この映画のロッコの言動がなぜか嘘っぽく感じてしまう。それが真実だと理解し出すのは「ロッコの章」も後半ぐらいだったような気がする。

話題になるのがイタリアのおっかさんロザリア(カティナ・パクシノウ)この女優は名女優らしい。確かにイタリアのおっかさんのイメージを具現化している。一家を牛耳っているのはこのおっかさんだが、そのまとまりも都会に出て来て時が経つと次第に崩れていく。それにしても気性が激しく、強いおっかさんだ。
演技がすべて激しすぎて、ちょっと引いてしまうぐらいだ。


※ここから脱線、もう戻りません。ヴィスコンティはこれで終わり。 

そう言えば思い出すのが「日本のおっかさん」
貴方は誰を思い出しますか?
肝っ玉母さんの「京塚昌子」
寅さんのおばちゃん「三崎千恵子」
時間ですよの「森光子」
わたる世間は鬼ばかりの「山岡久乃」
なんの役とは言えないが「浦辺粂子」
なんの役とは言えないか「三益愛子」
橋のない川「北林谷栄」
なんの役とは言えないが「浪花千栄子」
しかし、私は
絶対に「かあちゃん」(1961)の望月優子!
これぐらい昭和初期のかあちゃんを表現できる女優はいなかった。
苦労して思いだした。顔が浮かんでいるが映画を思い出せない。もちろん名前も知らない。苦労した。そして見つけた「かあちゃん」が1961年。この「若者のすべて」とほぼ同じ時期。
日本にもいい名女優はいっぱいいる。全くイタリアには負けていないと、この女優たちを思い出して強く思った。

2023.04.28視聴188
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