フラハティ

若者のすべてのフラハティのレビュー・感想・評価

若者のすべて(1960年製作の映画)
4.4
僕は将来故郷に戻りたい。


ヴィスコンティ作品としては中期に当たる本作。
今までは後期の作品しか観る機会に恵まれておらず、貴族や退廃美を描いた監督としての印象が強い。
だが本作は若者が描かれ、全てが退廃的になるわけではなく希望のように繋がっていく。
しかも庶民が題材!


どうも南イタリア人は、家族を大切に思うという。
また、北部の人間が南部の田舎のことを知らないように、貧民と富民との生活の差が生じていることも明らかである。
本作はイタリアの南北問題に言及しているとも取れる。

本作では貧しい暮らしの中、母親一人で息子5人という構成。
息子たちの母親に対する愛もあれば、母親から息子たちの愛もあれば、息子たちの愛もある。
本作の主人公は原題のように三男ロッコ。
演じるのはアラン・ドロン。

おそらく、この家族で最も家族の平安を望んでいるのがロッコであり、無理をしようとしているのも彼。
自分の人生や幸せよりも、兄や家族の幸せを求めたい。
都会の暮らしも望んではおらず、暴力も避けたい。
だからこその故郷を愛する言葉であったり、兄のことを真摯に愛しているということ。
だからこそ許すが、きっとそれは現状では叶わないのだ。


本作は兄弟の性格が多少異なる。
前提としては、皆優しく思いやりのあるということ。
本作のラストになるまでこの対比のような描きは活かされており、ラストの希望のような部分についても上手くまとめられているような印象を与える。

本作は基本的に良い人間しか存在しておらず、本作でも言及されている。
人間の本質は優しく穏やかであるが、周りの環境が変えてしまう。
だからこそ相手を許すことは大切であるが、それ以上に相手のことを思い罰することも必要である。
そして、何が悪いのかというのは明確ではなく、都会というものや家族というものは、多角的な面から見て人を殺めていくきっかけになり得る可能性を秘めている。

冒頭では家族は仲睦まじい姿を見せる。
次男が段々と暴力というダークサイドに堕ちていく姿は、あまりにも悲しい。
同時にロッコも同じ道を辿るが、本来望んでいなかった道へと進んでいく。
ロッコの選択はまさに聖人のようだが、他者を幸せにする道を選んでいないというのが悲しいところでもある。
『ゴッドファーザー』のマイケルの姿と被るところもあるので、ロッコというキャラクターがやはり好きなんだろうな(イケメン補正)。
最後に故郷に戻りたいと語るロッコは、未だに兄が優しく思いやりのある姿になることを望んでいての言葉であり、都会という環境が、最悪のシナリオへと進めていたのだという、どこまでも純白な人間の姿のよう。


若いということは純粋であるということ。
しかしその純粋さゆえにいつしか暗闇に紛れ、知らぬ間に心は蝕まれていく。
若者のすべてが、本作には綴られている。
フラハティ

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