【反転する価値観】
ゲオルギー・ダネリア監督の1986年ソ連発のSF作品
〈あらすじ〉
街中で裸足の男が怪しげなことを口走っている。自分は空間転移装置の事故で異星から飛ばされてきた者だと言うのだ。偶然、この男に話しかけたウラジミールとゲデバンは、同じく男が手にしていた転移装置で、キン・ザ・ザ星雲の惑星ブリュクに飛ばされてしまう。果たして、二人は、この砂漠だけの惑星から無事に地球へ帰りつくことができるのか…。
〈所感〉
ずっと気になっていたが保留していたタイトル。SFとは言え世界観がダリのねじ曲がった時計ばりに不思議でシュールすぎて、ちょっとついていけない気もしたが、このユニークさは用法用量お守りしないと癖になる程の中毒性があった。私はこの世の大抵のものはアメリカ的なもの・価値観(資本主義、巨大、陽気、豪快、絢爛など)とロシア的なもの・価値観(社会主義、零細、陰影、巧妙、無味乾燥、シュール)という風に大別できると思ってるが、まさに『スターウォーズ』VS『不思議惑星キン・ザ・ザ』ほどわかりやすい米露の対照もないと思う。本作を見てると言語や文化、価値観の顛倒を見ているようであり、現代の我々が何よりも素晴らしいと思っているお金なんか他の星から見ればマッチよりも取るに足らない代物なのかもしれない。日本語はボキャブラリーが豊富で多様で奥深すぎるので「クー!(主要言語以外の全てを示す言葉)」の一言で全て円滑にやり取りをしているのを見ると羨ましさすら湧く。このレビューだって本当はクー!で終わらせたい。ただ、不思議惑星にも身分や差別というものは存在し、それに見合った儀礼や態度をとらないと不味いことになるというのは万国共通のようで面白い。人は良くも悪くもどんな場所でも変わらない生き物のようで安心する。私も本作のような訳の分からない無意味な星から帰ってくると、この星は意味に溢れすぎていて、情報量の洪水に溺れそうになるのだろうと思う。本当に面倒臭い。だからこそ愛おしいのかもしれない。そんなことを考えさせられた。正直ちょっと長くて呼吸がもたないが、この無機質な世界観といい機械や建物のデザインといい、やはり語り継がれるべきロシアらしい作品ではあると思う。