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13回の新月のある年にのryosukeのレビュー・感想・評価

13回の新月のある年に(1978年製作の映画)
3.7
ギラギラした鏡張りのトイレ、キッチュな色彩のゲームセンター、蝋燭だらけの部屋、自殺男のいる赤い照明が点滅するスペース、テニス着の社長がいる一室等々、ファスビンダーらしい俗悪な空間の数々が何とも楽しい。ファスビンダーにしては冗長な場面はちょいちょいあったかな。
原案・製作・監督・脚本・撮影・美術・編集全部ファスビンダーって凄いな。正に私小説的な映画というわけか。
主人公による舞台のセリフの狂気的な再現に、食肉解体処理過程の映像が重なるシーンは強烈なイメージで素晴らしい。ワイズマン「肉」のモノクロ映像はやはり漂白されてはいるな...
食肉解体処理の映像は、前後の感情がぶつかり合うコミュニケーションに更なる生々しさを付与するが、これは近年の作品では「心と体と」でも同様だな。
「第三世代」と同じく、「ソラリス」への言及があったがファスビンダーのお気に入りなのだろうか。
序盤と終盤に繰り返される音楽が他の映画のテーマだった気がするんだけど何だっけな...(→「フェリーニのアマルコルド」だった!確かに本作においても子ども時代の記憶が重要だ)
主人公は「正しい」家族制度から逸脱した幼年時代を過ごして愛情に飢えており、ある男のために性別違和も無い(本人が言うにはゲイでもない)のに性転換手術をし、徹底的に異端者となっている。強制的異性愛、ヘテロセクシズム、性別役割規範、国家が枠組みを作る家族制度等々と、テレビ音声によって言及されるピノチェトや謎の権力者アントン・ザイツの生み出す支配の体制は、単一の正当性の下に少数者を抑圧するシステムであるという点で共通している。社長室において行われる、テニス着の少女たちの踊りの映像を見ながら、部下たちと一体となって奇妙なダンスショーを行うシーンもファシズムの戯画化に見えてくる。世界に遍在するあらゆる独裁に対峙する主人公は、多くのはみ出し者達とすれ違いながら、最後には自らが愛した権力者アントン・ザイツに相対することになる。主人公は、自発的な服従の証としての女性装を止め、長い髪を切ることでささやかな抵抗を示すが、やはり敗北してしまうことになる。プロット自体は愛憎劇であるが、当然単なるメロドラマではなく、正しく「社会派」の物語である。
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